あるものを使う、実家に行くとき何か買っていこうか?と姉貴に聞いて、なければ余分なものは買わない、自分で買ったら自分で消費しないとフードロス!と言われて嫌がられるから。
鶏肉見つけて唐揚げ
油淋鶏にするかな、食の駅のキッチンで働いていたことあるから自分で言うのもなんだがチャッチャカチャー!です
野菜も豊富なのであるもの全部、きのこ多いし炒めてから味噌と麺つゆ両方でトーフも手で崩してほうりこむ
半分萎びていたほうれん草、あじもおちているだろうから胡麻和え、白だしか味噌ちょいといれるのも職場の大先輩のばーちゃんたちが使っていた技。
筍ご飯はもともと残っていてラッキー
介護用のベンツ?洗濯物も置けてベンリベンツ
初代オスオステルマムがさいたが
ひょろっとw
きっとけばよかったよ
2台目白の八重
ほったらかしだったのに
枯れそうなのをダメ元で雑に植え替えたのいつの間にか蘇ってきてる
挿木のほったらかし
もはやどっちの挿木かわからない
こちらもほぼ諦めていたのが蘇り
オステオスペルマムの強さを改めて実感
こいつも蘇りの16歳
去年は死んじゃう騒ぎで毎日泣きながら介抱したけど、今は散歩中に走ったりもする
多発性骨髄腫の母が亡くなって20日
うちは三姉妹と下に弟の4人きょうだい
アタシは2番目
一生懸命介護しすぎる姉に引っ掻き回される毎日、心臓が痛い、動悸が激しい、なんか自分がやばい気がする。
昨日はヤバくなる前に帰ろうと9時前に上着をきた
途端に言い合いになった
アタシも割と真面目に聞いちゃうタチで
負のエネルギーを真正面から食らう
「もっとおっきい病院で手術してもらったらお母さんは長生きできたかも!」
「あの病院は75歳を超えたら手術しないってラインきめていたからよくなかった!」
「緩和や在宅介護したかった」
心臓限界に近い母を動かすことも至難の業、そこを手術だ在宅だは厳しかろうと先生も言っていた、が、誰も信じられない、介護10年暦で先に母を亡くしているの友だちの話は信じるが、主治医の話は信じない、つまり
自分が納得したいだけなんだなと思った
「アタシがいなかったらどうするの?」
「ケアマネと相談してヘルパーさん頼むかデイサービスを増やすか…」
人でなしのような顔された
姉貴もまいってしまうから妹が帰ってきたら帰れば?と言ったら
「これで帰ったらうしろめたいし、妹に任せたらわからなくなる、戻れなくなる」
ならばもっと楽に考えて、かわいそうな自分を作ろうとするのはやめろと言いたいが
「お前はいつも何も言わない!」
そりゃそうよ、言えば怒るし「お前がそう言ったんじゃん!」って言われてアタシのせいにされるパターンにもううんざりだから。
最近は介護グチブログになってるな
アタシも病んでる、持って上げていきたいいぜ‼️