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ものごころ=[物心]
世の中の道理や人情などを理解する心。
「物心がつく」
(=幼児期を過ぎて,
世の中の物事が何となくわかってくる)
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ものごころついたのはいつ頃だろう。
そう考えると同時に、
父方の祖母の家を思い出す。
通りから一本奥へ入った場所にあり、
その途中の草村にはザクロの木がある。
そのザクロは人の土地にあり、
実際には手を出したことはなかったはず。
雨水を貯める貯水槽には、
金魚や蓮の葉があり、
松の木の先っぽを折り、
水に浮かべると、
松ヤニが放出される勢いで、
その先っぽが前に進む。
父が教えてくれた不思議のひとつだ。
庭には大きな木が一本。
そして、松の木が一本。
あとはいろんな花や植物が植えてあり、
なかでもサボテンやアロエの鉢植えが、
印象深く記憶に残っている。
本来の玄関よりも、
土間という場所の入口から入った。
昔ながらの五衛門風呂を、
沸かすための薪があり、
何度か手伝った記憶がある。
とにかく顔が熱いのだ。
冷蔵庫はなぜか2つ。
おそらく1つは、
祖父のためのものだったのだ。
祖父は深夜まで修理工として、
仕事をしていた。
昼過ぎまで寝て、
深夜まで仕事をする。
そんな感じだ。
僕がこの頃、
物心がついたのだとして、
人として、
世の中の道理や人情などを理解する心が、
見について来たのだとするならば、
僕は一体、どう理解したのだろう?
後付けではなく、
なるべくリアルな感覚を探るとしたら…。
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ここは僕の居場所ではない。
しかし、
生きてゆくためには、
今はここにいるしかない。
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そんな感覚かもしれない。
幼いころの僕はよく、
祖父と祖母のもとに預けられた。
両親が共働きだったためだと思われる。
しかも、
それが長いのかどうかわからない。
1ヶ月なんてのはざらだったと思う。
小学生の夏休みと冬休みは、
まず、ほとんどと言っていいほど、
祖母の家に預けられていた。
だから、それが当たり前であり、
多少の疑問はあったのかも知れないが、
とにかくそこにいるしかなった。
しかし、本当は何を望み、
何を実現させたかったのだろう?
今、考えると祖母や祖父、
そして、伯父から、
たくさんの教育を受けはしたが、
なにか自分としての発見をくれたのは、
むしろ父親であったかも知れない。
綺麗な習字の書き方。
プロレス技のかけ方。
歴史に関する書物や日本刀の輝き。
それらは確かに素晴らしく、
愉しいものであるかも知れない。
しかし、ここには何かがない。
僕は笑っていたのだろうか。
それぞれが個別に僕に接する。
愛はあったはずだ。
しかし、何かが…。
忌まわしいというほどではないが、
あまり笑えない記憶が、
断片的に蘇って来る。