ものごころ=[物心] | 【井上まさきの日々是BLOG】

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倉敷市在住/心理カウンセラー/講師/屋号は「ハル」でやらせてもらってます。/水島こども食堂ミソラ♪

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ものごころ=[物心]

世の中の道理や人情などを理解する心。

「物心がつく」

(=幼児期を過ぎて,
世の中の物事が何となくわかってくる)

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ものごころついたのはいつ頃だろう。

そう考えると同時に、
父方の祖母の家を思い出す。

通りから一本奥へ入った場所にあり、
その途中の草村にはザクロの木がある。

そのザクロは人の土地にあり、
実際には手を出したことはなかったはず。

雨水を貯める貯水槽には、
金魚や蓮の葉があり、
松の木の先っぽを折り、
水に浮かべると、
松ヤニが放出される勢いで、
その先っぽが前に進む。
父が教えてくれた不思議のひとつだ。

庭には大きな木が一本。
そして、松の木が一本。
あとはいろんな花や植物が植えてあり、
なかでもサボテンやアロエの鉢植えが、
印象深く記憶に残っている。

本来の玄関よりも、
土間という場所の入口から入った。

昔ながらの五衛門風呂を、
沸かすための薪があり、
何度か手伝った記憶がある。

とにかく顔が熱いのだ。

冷蔵庫はなぜか2つ。

おそらく1つは、
祖父のためのものだったのだ。
祖父は深夜まで修理工として、
仕事をしていた。

昼過ぎまで寝て、
深夜まで仕事をする。
そんな感じだ。


僕がこの頃、
物心がついたのだとして、
人として、
世の中の道理や人情などを理解する心が、
見について来たのだとするならば、
僕は一体、どう理解したのだろう?

後付けではなく、
なるべくリアルな感覚を探るとしたら…。

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ここは僕の居場所ではない。

しかし、
生きてゆくためには、
今はここにいるしかない。

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そんな感覚かもしれない。

幼いころの僕はよく、
祖父と祖母のもとに預けられた。
両親が共働きだったためだと思われる。

しかも、
それが長いのかどうかわからない。

1ヶ月なんてのはざらだったと思う。


小学生の夏休みと冬休みは、
まず、ほとんどと言っていいほど、
祖母の家に預けられていた。

だから、それが当たり前であり、
多少の疑問はあったのかも知れないが、
とにかくそこにいるしかなった。

しかし、本当は何を望み、
何を実現させたかったのだろう?

今、考えると祖母や祖父、
そして、伯父から、
たくさんの教育を受けはしたが、
なにか自分としての発見をくれたのは、
むしろ父親であったかも知れない。

綺麗な習字の書き方。
プロレス技のかけ方。
歴史に関する書物や日本刀の輝き。

それらは確かに素晴らしく、
愉しいものであるかも知れない。

しかし、ここには何かがない。
僕は笑っていたのだろうか。

それぞれが個別に僕に接する。

愛はあったはずだ。

しかし、何かが…。

忌まわしいというほどではないが、
あまり笑えない記憶が、
断片的に蘇って来る。