永田由香の依頼が終了してから三日が過ぎた。



あれから特に依頼もなく、平穏な日が続いている。
今日も何事もなく時間がただ過ぎていくかと思ったとき、事務所の電話が鳴った。
「神宮寺探偵事務所です」
洋子君がいつもの調子で電話に出ている。
「美貴ちゃん?」
どうやら電話の相手は由香の妹の美貴のようだ。



「それで警察には?」
不穏な言葉が聞こえてきた。
「すぐに行くから待ってて」
洋子君はそう言って受話器を置いた。



「何かあったのか?」
俺がそう聞くと、洋子君は動揺した様子で言った。
「由香が昨日から行方不明だそうです」と。



洋子君は美貴の所へ向かうための準備を始めた。
俺も一緒に行った方がよさそうだ。
永田由香が失踪……
嫌な予感が頭をよぎる。
俺が解決したはずの彼女の依頼、まさか原因はそこに?



俺のすぐ横を歩く洋子君はずっと黙ったままだった。



俺は苛まれるような気持で永田由香の家へとやって来た。



永田由香をつけ回していた斎藤俊夫が彼女の失踪に関与しているなら、この事件は俺の甘さが招いた結果なのだ。
玄関に誰かいる。
こんな夜更けに誰が……



見覚えのある後ろ姿だ。
熊さん?
やはりそうだ。
熊さんはこれまでに様々な事件で関わって来た淀橋署の刑事だ。



先日知り合った野田刑事も一緒にいる。



どうやら熊さんたちも永田由香の失踪の件でやって来たらしい。
その時、玄関から美貴が飛び出してきた。



「昨日の夜から連絡がないんです」
美貴は動揺しながらもそう言った。



きっと何かの事件に巻き込まれたんじゃないかと美貴は続けた。
「姉を探してください」
美貴は俺の目をじっと見ながら言った。



「私たちがきっと探し出すから」
俺の隣でずっと黙っていた洋子君が初めて口を開いた。



この近所に心当たりがある。
俺は熊さんにそう言うと、斎藤俊夫の家へと向かった。



正直なところ、あいつがなんらかの事件を起こしたとは俺には思えなかった。
斎藤には悪いが協力してもらうしかない。
チャイムを鳴らすと斎藤はすぐに姿を現した。



永田由香が失踪した。
俺は斎藤にそう告げた。
すると斎藤は「まさか僕を疑っているんですか!?」と目を見開き言った。



「俺は君を疑いに来た訳じゃない」
斎藤を落ち着かせるためそう言った。
「今なら有らぬ疑いをかけられる前に君を助けることができる」
俺の言葉を聞き、斎藤は落ち着きを取り戻したようだ。
そこで俺は斎藤のアリバイを聞いた。



「昨日の夕方から今朝方までコンビニでバイトしていました」
斎藤は真っすぐ俺を見ながら言った。
その言葉に嘘はなさそうだ。



念のためコンビニで証言の裏付けを取ったが、斎藤の言う通りだった。
しかしこれで永田由香失踪に関する手掛かりは白紙に戻ってしまった。



ひとまず俺は洋子君たちが待つ永田由香の家に戻ることにした。
「残念ながら捜査は振り出しだ」
俺の帰りを待っていた美貴にそう言った。



しかし美貴にしか分からないこともあるはずだ。
失踪する前日、前々日の由香の様子を聞いてみた。
すると三日前に俺が帰った後で由香が変なことを言ったらしい。



「神宮寺さんが探してくれた人も、私をつけ回してたらしいけど」
由香はそう言ったらしい。



探してくれた人も?
他にもいるとでもいうのだろうか。
由香は気のせいだと言ったようだが……



美貴はそれ以外にも気になる事があるようだ。
あの日、俺が帰った後、自室で険しい顔で何かを見ていたという。
それはピンク色の紙切れらしい。



さっそく由香が眺めていたという紙切れを探してみるとしよう。
俺は由香の部屋の捜索を開始した。
床に何冊もの本が散乱している。
その中から化学の本を取り上げた時、小さな紙切れがページの間から床の上に落ちた。



これが由香の見ていた紙切れらしい。
そこにはPCDと書かれている。



それを見た美貴は「そういえば化学式みたい」と呟いた。
確か由香は科学研究室に勤めていたはずだ。
化学式……
化学物質の名前か……



まだなんとも言えないが調べてみる価値はありそうだ。
わずかな手がかりしかない今、俺はこの大学での成果を期待せずにはいられなかった。



図書館ならPCDに関する何かを見つけられるかもしれない。
そう思った俺は図書館へと向かった。
しかしどの本も手がかりになりそうなものはなさそうだ。
丁度その時、見知った顔が図書館に入ってくるのを見つけた。
洋子君と美貴だ。



洋子君は俺のそばまでやって来るとお願いがあるといった。
今回の調査に美貴も加えてほしいと。



由香の失踪には第三者の悪意が関与しているとも考えられる。
その悪意が美貴たちに向かうのは避けたい。
しかし俺は捜査に加わることを認めた。
洋子君と一緒に行動することを条件としてだ。



俺たちがそんな話をしていると、益田と名乗る女子学生が話しかけてきた。
由香と同じ研究室だと言う益田は、由香に何かあったのではないかと心配しているようだ。



心当たりはないか聞いてみると、川島という男に好意を持たれ困っていたという話が聞けた。
麻薬をやっていると噂される男だそうだ。



これは川島という男に会った方がよさそうだ。
PCDの件は洋子君たちに任せて、俺は川島の方を当たってみるか。



しかしその前に由香が通っていた研究室に顔を出しておこう。
俺が研究室に入ると、白衣の女性が話しかけてきた。
いかにも研究者といういでたちだ。
その女性は研究室の助教授、大森と名乗った。



化学関係の人間ならPCDの言葉に聞き覚えがあるかもしれない。
俺は大森にPCDについて聞いてみることにした。
しかし大森もPCDについては心当たりがないそうだ。



研究室を後にした俺は、川島がよく目撃されると言う駐輪場へと足を運んだ。
バイクの影で座り込んでいる男がいる。
その男はけだるそうに俺の顔を見上げ、ゆっくりと立ち上がった。
「君が川島か?」
俺の問いかけに「そ…うだ……」とだけ答えた。



「永田由香という女性を知っているだろ?」
俺はそう聞いたが、川島は何も答えない。
まるで俺の存在に気が付いていないかのように、ただぼんやりと視線を漂わせているだけだ。
こいつが何かしらの薬物を使用しているのは間違いない。
こんな状態では話を聞く事すらままならない。
残念だが、しばらくは彼から話を聞く事はできなさそうだ。



しかし、川島は由香をつけ回すような精神状態ではなさそうだ。
川島から話を聞かないことには、まだまだ不明な点が多いな。
そんなことを考えながら歩いていると、俺は見知らぬ中年男性と肩をぶつけてしまった。
その男はしどろもどろになり俺に背を向け、大学の門の方に去って行った。



その後、男は生け垣に身を隠して正門ごしに中を覗き込んでいる。男の表情はどことなく暗い影を持った、いかにも訳ありな顔をしている。
しかしこんな時は焦ってもしかたない。
冷静さを欠くとすべての物が怪しく見えてしまうものだ。
俺はその場を去り、事務所へと向かった。
事務所のドアを開けると、洋子君と美貴が俺を迎えてくれた。



洋子君たちは図書館でPCDについて調べたらしいのだが、これといった情報は得られなかったようだ。
由香が科学研究室にいた事を考えると、PCDが化学物質の可能性が高い。
その線から調べていた洋子君たちは、科学で使用する分子名は規則性があるという事に行きついたようだ。



その規則性は数字にも当てはまり、1はMono、2はDi、3はTri、順にTetra、Penta、Hexaと続くらしい。
それらの数字と分子の名称を組み合わせて化合物の名前を決めているそうだ。



そうなるとPCDのPは数字である可能性が考えられるな。
PとはPenta、つまり5ということになる。
だが、だからといってPの部分がその意味であるとは限らない。
俺は淀橋署でその辺のことを聞いてみることにした。
鑑識課の知人に聞けば何かヒントを与えてくれるかもしれない。



翌日、淀橋署に行く前に、俺は再び大学を訪れた。
川島に会うためだ。
しかし駐輪場に川島の姿はなかった。
ふと、わきに目をやると小さな薬ビンが落ちていた。
ラベルも印刷もない真新しい薬ビンだ。
気になった俺は、その薬ビンを拾っておくことにした。



それ以外は特に見つからず、当初の予定通り俺は淀橋署へ向かった。
鑑識課勤務の三好志保女史に会うためだ。
彼女は観察官という立場で、法医学、薬学、化学全般のエキスパートでもある。
大森助教授と違って、実際の犯罪に深く関わった実践派の研究者だ。
大森でさえ知らない化学の知識を持っている可能性も十分考えられる。



鑑識課のドアを開けると、そこには白衣を着た三好がいつものように立っていた。



俺はさっそくPCDについて聞いてみた。
しかし似たような言葉はいくつかあるものの、PCDという言葉は聞いたことがないそうだ。
CCDはビデオカメラ、TCDは麻酔薬、PCBはポリ塩化ビフェニール……
TCD、麻酔薬か、何か気になるな。



TCDは軍関係で使われる麻酔薬のことらしい。
正式名称はトリクロロドルシエンか。
待てよ、TはToriで3の事だ。
トリクロロドルシエンがTCDなら、ペンタクロロドルシエンは
PCDになるのでは。



良い思い付きだと思ったが、それは今のところ世の中に存在しない物質らしい。


もし存在すれば、それは麻酔を通り越して強力な麻薬になるという。



完全に手がかりが途絶えてしまった。
俺はなじみの店「かすみ」に腰を落ち着けていた。



無駄に時間を過ごしていたのではという焦りを無理に打ち消すつもりで、俺はゆっくりとグラスを傾けた。
ラジオからは夜のニュースが聞こえ始めた。
「本日、新種の麻薬が発見されたと警視庁の発表がありました」
麻薬という言葉に反応し、俺はラジオに意識を向けた。



それは勾留されていた麻薬の密売人が突然死したというニュースだった。



「死亡した男は今まで発見されていなかった薬物中毒者であり、死因はその薬物の禁断症状であると判明。」
「警視庁は、この新種の麻薬を構造上の特徴からPCDと呼称すると発表しました」
PCD!
確かにいまラジオの声はPCDと言った。



永田由香の失踪……
誰も知りえなかった麻薬の名前……
無数のシナリオが俺の頭をめぐり続けた。
そして、そのすべてが悪い結果を含むシナリオだった。


【第3夜】へ続く


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