中学2年になり父も居なくなり兄弟3人だけの生活が始まった。




夕方の新聞配達が終わると3人で夕食の支度。




買い物は知り合いの小さい食料品店でツケでかうのだが、そこには野菜は売っているがあとは缶詰やラーメンなどレトルト食品ばかり・・・




米だけ自分達で炊いて、おかずは缶詰だけだったり、レトルトのカレーやラーメンの生活。




月に1度の父が帰って来る日だけはご馳走で楽しみだった。




近所の方も親戚も、たまに来るのだが掃除をしてない部屋を見て叱って帰るだけ・・・




それでも3人で楽しく過ごしていた。




今考えると3人で暮らしている時のイメージが1番強いし、辛いとも思わず逆に楽しかったように思う。




私も夜遅くまで遊んでも叱られないので段々と悪い友達と付き合うようになり、妹達と夕食を食べた後、友達の家に行き夜中まで遊ぶ繰り返しだった。




大人になって聞いたのだが、そのころ妹達も学校に行った振りをして、私が出て行くまで時間をつぶし
私が学校に行った後、こっそり帰ってきてよく学校をサボっていたらしい・・・




私がタバコを覚えたのもその頃だった。



小学校まではおとなしかった私も、徐々にヤンチャな仲間と付き合いするようになっていた。



そのあたりから、たまに母から連絡があり時折会う事になるのだが、母と会っているのを父にバレてしまい叱られるのである。




キツイ言い方ではなかったが「黙って会うな。会いたいならキチンと言ってから会え」と・・・




その後、また母から会おうと誘われたが私は父に叱られると思い行かなかった。



妹2人だけで父に黙って会いに行ったのだが、後日父に聞かれても子供の嘘なので、またすぐにバレる事となる。




そうしているうちに1年がたち、父も大阪に帰ってくる事となり新しい職場も決まった頃、妹2人が母と一緒に暮らしたいと父に告げる・・・



・・・続く








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よろしくお願いします。
母がいなくなって4年、私は中学生になっていた。




小学校の時は給食だったが中学になると弁当持参だったので昼休みが嫌いだった。




朝早く起きて自分で作らないといけないのだが大した材料も無くいつも卵焼きとご飯だけだった・・・




友達に弁当を見られるのが嫌だった私はいつもコソコソ食べていたように思う。




中学校にも慣れてきた頃、中学校の売店でパンが売っていることを知り、自分も弁当をやめようと思ったが自分の小遣いでは毎日パンを買うことができず、バイトしようと思った。



だが中学校1年の私を雇ってくれるバイトがなかなか見つからず、やっと見つけたのが新聞配達だった。




初めて給料を貰った時はとても嬉しかった。




中学2年になり、また事件は起こった・・・




妹が怪我をして(結局たいした事は無かったが)それを聞いた父が急いで帰宅中スピード違反で捕まり免許取り消しになった。




運転手をしていた父は職を失い、埼玉で自営で建設業をしている親戚の会社で働かないかと誘いがあり
父も悩んだようだが私達も転校するのは嫌だと言った為、近所の方や親戚にたまに見に来てくれるようにたのみ父だけ1年間埼玉に行くことになった。




1ヶ月に1回は帰って来るが、母に続き父も居なくなりそれから1年間兄妹3人だけの生活が始まった。




・・・続く
ここまで幼少期の事について書いてきましたが、これは私が小学校3年~6年までのお話です。



嫌な悲しい思いでも沢山ありましたが、もちろん楽しいこともあったと思います。



ただ何故か辛い事の方が鮮明に覚えていて、楽しいことをあまり覚えていません。



母との楽しい思い出も所々かすかに覚えている程度ですので、一番下の妹は母との思い出は全く無いのではないかと思います。




ただ救いだったのは私達には兄妹がいたことです。




兄妹3人で協力して、遊んで、仲良くしていたので悲しみも少なくて済んだのだと思います。




兄妹がバラバラになっていたら、状況も変わっていたと思います。




ご近所の方や親戚の方には大変お世話になりました。




この場を借りてお礼を言いたいと思います。「ありがとうございました。」




読んで頂いている皆様に・・・




私は高校中退で学も無く下手な文章で大変読みにくいかと思いますが、ここまで読んで頂いてありがとうございます。



これからも一所懸命、書いていきたいと思いますので誤字脱字があるかもしれませんがお許し下さい。




次からは学生編として私の中学からの話を書きたいと思いますのでよろしくお願いします。