転寝のブログ・頭で分かりゃー苦労しないんだよ -3ページ目

転寝のブログ・頭で分かりゃー苦労しないんだよ

徒然なるままに日々のあれこれやらを綴ります。


頭茫洋として睡魔勝つ。

起きて座り醒む。
起きて寒し。
春、寒、暖。
収まる事無し。

また座り、また寝る。
空、寝る、座る

合掌

本質シストwwwな私は本当に色々な事について考えたりするものだから一日は短い。
今日も結婚制度について考えていたのである(別なことも考えたけどね)。

クナド婚と言うのをご存知だろうか?
縄文時代の日本人の家族制度である。そもそも部族において共産主義的であった縄文人は婚姻についても今の我々には創造が出来ないような形態を有していた。と言ってもその残滓は現代にも残っているし、少し歴史を遡れば歴然としてくる。
クナド婚とは神の前において部族全員が結婚しちゃうと言う些か乱暴なものである。

部族が全員結婚相手(同性は除くww)のであるから父と娘とか兄妹、姉弟、と言う組み合わせもありだ。それ危ないやんけ、と言うのは現代的倫理観と人口によるものであり、そもそも列島内に人口が1万人とか10万人、単位の時代に部族間での家族制度が必須であるわけも、その技術的通路もありはしない。
クナド婚は部族内の人口の維持には必須だったと言うわけである。

実際的にその様子を想像すると、神前で何らかの式を行う年齢に達すると部族の大人家族の仲間入り。出産適齢期であれば相手は構わず産んどけや!なのか…
流石にそれだけでは人口は増えないのでやはり大陸から人が来ると競って子種を搾り取る…
男は辟易して村から脱出してまた違う村で同じ事を…ライオンだな。つまり、この頃の部族は必然的に女系優位だったであろう。爭いをしなかった縄文人、の理由は案外この婚姻制度?(ですらない)にあったのではなかろうか。

弥生時代に入ると大陸からの脱出組、負け組が列島内に入り始める。
女性も当然いたではあろうが、主流はやはり男性だったかもしれない。彼等も絞られた対象であっただろう。とにかく縄文時代の女性は肉食系だったのである。大陸や半島からの脱出、帰郷組が多くなり始めると少しずつ家族の在り方も変わっていく。
クナド婚では部族の中での地位は確立しがたいのである。縄文に取り込まれながらも弥生期に入るとクナド婚は妻問い婚に移行し始める。


相変わらず男はフラフラしながらも特定の妻の所に帰るわけだ。これが奈良時代~多分明治直前まで続いた。
男は一般庶民の階層では留守が良いのである。明治時代にも昭和においてすら存在した夜這い婚はこの残滓なのだ。勿論、それは庶民階層での現象であり、妻問い婚が貴族の間で存続したのは奈良時代~平安時代までである。一般共同体の基底にある婚姻制としての郡婚は明治時代まで続いたのだ(男ライオン)。
してみると、現代の日本人の男女が本能的に個別婚から遠ざかる理由の一因はそこにあるのかもしれない。日本は個別婚を(制度として)明治以後取り入れたわけだが、日本は日本であれば良いのであって、婚姻制度自体を見直す必要、ないのだろうかね?


決して浮気したいわけじゃありません 合掌


賓頭盧(びんづる)尊者が何故か大好きである。

仏は舎衛国祇樹給孤独園におられた。その時分陂壇(PuRDavardhana)という名の難国王がいて、仏法を信ぜず外道を好み、毎日宮中において万余人の諸尼 に飯を供した。難国王は太子のために嫁を探させ、阿難  (給孤独)の女三摩 (CUlasubhaddA)をもらい受けた。三摩 は宮中で諸尼 が裸形で食事するのを見て、大いに驚き狗畜生と異ならずとして部屋に入り、出てこなくなった。難国王は三摩 より「舎衛国では人民が奉仕するのは仏である」と聞き仏に会いたいと言った。三摩 が高台に上り舎衛国に向かって焼香すると、仏は感応され阿難、目連に翌朝難国へ向かうよう命ぜられた。そのとき賓頭盧は山上に坐して針で衣を繕っており、遅れて鍼を地にさしたまま神足をもって飛行して難国に至ったので、山もその後に繋がって
来た。これを見た女がびっくりして、懐胎していた子を流産してしまった。仏は期を失し、一人の命を殺してしまったと叱られて、あなたは今後、我が食に随い、衆会と共にあってはならない、また彌勒が出現するまで世に留まり、般泥 してはならないと命じられた。

『三摩 経』(大正02 p.843上~845上)

釈尊は 500人の比丘たちとともに祇樹給孤独園に居られた。ときに阿難は釈尊に「将来、弥勒仏が出現されたときのことを教えて下さい」と質問した。そこで釈尊は弥勒仏生誕の因縁を語られたのち、摩訶迦葉に「私も年老いて80歳に向う。しかし汝ら四大声聞(大迦葉、君屠鉢漢、賓頭盧、羅云)(1)は般涅槃しないで、弥勒仏が世に出現されるまで待つように」と告げられ、「弥勒仏が『十想(① 無常の想、② 楽有苦想、③ 計我無我想、④ 実有空想、⑤ 色変の想、⑥ 青 の想、⑦ 腹脹の想、⑧ 食不消想、⑨ 血想、⑩ 一切世間不可楽想)を思惟すべきである。これは過去の釈尊仏が汝らに有漏を尽させ、心解脱を得させるためであった』と説くであろう」と予言された。

『増一阿含』048-003(大正02 p.787下~789中)


阿育王(アショカ王)は三十万僧を請じた。

十万僧は阿羅漢、二十万僧は須陀 ・斯陀含・阿那含で、清浄の凡夫も皆座に就いたが、最上座の席に坐す者がいなかったので、王が何故空席なのか問うたところ、さらに上座の人の坐す処と答えた。

王が夜舎に「汝より上座がいるのか」と問うと、夜舎は「昔、仏が師子吼第一と記された賓頭廬跋羅豆婆闍(ピンドラパーラドバージャ)を尊重する」と答えた。

また「如来を見ることができた者がいるかどうか」との問いに、夜舎は「賓頭廬阿羅漢が見ている」と答えた。王が「お会いできるか」というと、
「今まさに来られるでしょう」と答えた。

王が合掌して待っていると、賓頭廬が空中から下りてきて上座に坐した。見ると頭白く眉秀で身体相好は辟尸仏のようで、王は五体投地の礼をし、「如来に会いましたか」と尊者に問うた。また何処で会ったかとの問いに、賓頭廬は「仏が五百阿羅漢等と王舎城にて夏安居された時に私もその中にいた。

また舎衛国にて大神変を現し外道を摧かれた時、また阿迦膩 天に昇られた時、 利天にて母の為に説法し諸天に囲堯され僧伽戸沙池側に来下された時、蓮花比丘尼が転輪聖王に化作し千人の子を具足して仏足を礼した時もその中にいた」と答えた。

『阿育王傳』(大正50 p.105上~下)

何が本質的な問題なのかを話していた。
それはつまるところ、知性が今現在認知しうる限界を突破するか否かだ。

ここで言うのは知性であって知識ではない。
知識が山のように重なっても物事の本質には至らない。知識は重要な道具であるが、何の道具であるかと言えば知性の為の道具なのだ。
知性が適正に自らの限界を自覚、認知し、その表層の一つ下に至る時、物事は普遍性を表す、事がある。勿論事があるのであって、それが全てではない。それが全てではないというのは、知性そのものもそれを成立さしむる基底から逸脱する事は非常な困難を伴うからだ。

保守である、とか左翼である、と言うのはその意味で全く本質的ではない。
それは表層的に基底された物事の視点の問題であって、物事はそのような基底など気にすることなくそのものとして物事として現れるからだ。
ここで知性がその本質を理解し、自らの限界を見出してからが、知性が本質に至るか至らないかの指向性が生じる。

その在り方が、現代社会では問われているが、問われている者と問うている者の分離は存在しない、と言う事を知らなければならない。そうでなければ知性は撞着に至り、回答はでない。
ではそのように見、そのように本質に迫るとは何かなのだ。
それは知性のニュートラルさだろう。
知性は自らの基底すら放棄して本質そのものでなければならない。そこに文熱が在る時、本質は常に知性から逸脱し、乖離していく。

感情論や、表層的な問題や、それに対する適切な応答に至る事なく繰り返される。
これが正見であり、思惟なのだ。
思惟し、正しく語る言葉を持たなければならない。持たないならそれは開かれない。開かれない時、例えば社会的現象を語れない、語っていても本質を語らない。

このような在り方が、日本のみならず世界中の知識と知識人とを覆っている。
だから、常に本質はそれぞれにおいて分別され、何一つ解決されず、結局力の問題でしかなくなる。
これが無明である。
社会は飽和状態の中で表層のみをなぞり、何一つ問題を解決しない。それは国家においても同じだ。


合掌



5月1日、母は我が修行道場に引っ越しした。
つまり修行道場は墓場から元々の我が部屋に戻ったわけである。代わりに母は墓場を自室に変貌させつつある。

我が部屋は実に静かである。
いつも放送する部屋は道路に面しているが寝室は何処にも接続していない。少し静か過ぎる。
あれほど睡眠が短かった私がつい8時間、9時間と寝てしまうほど静かだ。これではいけないのでそのうち母の部屋に布団をしいて寝ようかと思う。母は一日のほとんどをテレビを共にして過ごしているので一人にしておけばボケてしまわないかと心配なのである(心配は無意味だ)。と言うか自分の睡眠を調節しなければならない。

静かな部屋は座るのに適している。
雑音の無い空間で座る。勿論、座った当初は静けさの中に母の部屋のテレビの音や、階下の妻の部屋のテレビの音、その他の雑音はあるが、墓場に比べるべくもない静寂がそこにある。
昼間、何の用もない時は時間単位で静かなまま座っていられる。
座ったからといって別に何も得るものなど無いし、欲しくもない。ただ座ればよろしい。

午後4時を過ぎると介護と仕事の全てが全方位から始まる。
家族を供養するのである、賤民の経に従って。
それは偉いですね、と生放送で言われたが、えらくもなんとも無い。人はすべきことを作すだけだ。そこから功徳を得ようととか、善業を積む、等という思いは邪見である。
すべきだから作す。
すべきことを作す。

介護は特別な事ではない。やがて誰しも老いる。誰しも思いのままにならない我が身が待つ。
介護する事は自らを正しく見る事でしかない。

母は元気で快活で、よく仕事をし、子育てをなした。
妻は元気で快活で、愚かな夫によく仕えた。

このような愚鈍で自分勝手で、悪見にまみれた人間に奉仕した二人の女に奉仕する事は自分の悪業について正しく思う事である。

このような(省略)奉仕する時口業は正しく語る事である。
このような(省略)奉仕する時に正しく己の体に注意する事は正業である。
このような(省略)奉仕する事自体が正しい仕事なのである。
このような(省略)奉仕する自らの心を正しく励ますものは精進である。
このような(省略)奉仕する時の自らの正しい気付きと念が確固たる物と成る。
このような(省略)奉仕しながら座る時間に定において三昧は生じる。

なんだ、八正道だw

そしてやがて誰しも去っていく。
家族はやがて次の世代、つまり息子に繋がるかも知れないし、そうでないかもしれない。それを求める気持ちや願望は無い。彼が健康で、誰の所有物でもなく、彼自身に帰依するなら、彼の生き方に干渉することも、批判する事も、責任を負う気持ちもない。彼は彼の帰依所であれば良いのであって、しかし彼は多分家族を学ぶだろう。そうでなければ元々これは空なのだからそうでない明日があるだけだ。

あるべきように生きることはあるがままに生きる事でしかない。そして明日も、多分これから床に付く前も私は座り、座る。


合掌



分かったようなことを言いやがって、このエエカッコシイが…と言うのがコレである。
延々と分かったような事を言いながら延々と仏陀の言葉を味わいながら過ごす。
ああ、善きかな。
ああ、日々是好日、にちにちこれこうにち。

にちにちこれにちにちw
座し、座すw
ああ、善きかな
苦も楽も善きかな
無意味もまた善きかな

善くなくとも善きかな
良くも悪くも善きかな
我も彼も作す
我も彼も無しああ、善きかな

空気は美しい
ヘドロも美しい
嫌悪もこれ日日
不苦不楽も日日
楽も日
苦も日

ああ善きかな
ああ日日

合掌




宗教って何か?
全ての宗教は結局生死と言うどうしようもない問題に対する探求から生じる。

生は生きている状態の全て。全ての状態に生じる疑問。疑問に対する考察。
その考察が神を生み、哲学を生んだ。

死はどうしても解決出来ない消失。この消失に対する生の側の理由付け。それも宗教。
死と言う現象を受容出来ない恐怖が宗教のもう一つの側面。これも宗教の一つの要素。

この生死と言う問題の全てに対して生じる問と答えを設定するものが組織的宗教の骨子だ。

では仏教はどうか?
そもそも仏教は仏教と呼ぶべきではない、と思う。

例えば仏教は生と死の問題について他の断定を許容しない(原初的仏教)。
地獄の閻魔は実際は自分の善心であり、天に生まれ変わるのはこれまた自分の善心の判断なのだと、原初仏典を読む時理解出来る。
全ては自らに帰する=自燈明
その自らの決定の指向性=法灯明
として仏は説く。

だから、仏教は教ではあり得ない。宗教、つまり他の判断、神や裁定者の存在を認めない。仏はその真理、及び心理作用を解き明かし、人を導いた。当然、それは他者に救いを求める、神に、仏に求める教えではない。自分が実践し、自分で見出し、自分で達成する物としての教えだ。

しかし、宗教心は存在する。
仏教にも存在する。それは仏の教えを判断し、それを真であると受容し、そこに信を得て初めて仏の教えに従って実践出来る=帰依
しかしこれも強制ではない。あくまでも救い、理解、実践は自らに委ねられる。
仏に直接教えを受けても悟れないと言う説話が存在するのは仏の教えの基本が自力であるからだ。

これは他の宗教と呼ばれるものとは異なった宗教と言える。
極楽に行くのも地獄に行くのも自力の結果なのだから。仏を信じれば極楽に行けるわけではない。

この論理において私は仏に信を置く。絶対的な信頼を持つ。沸き起こる疑すら、教えを思惟し、自ら理解する事を説く仏の論理を真だと諒受する。
その教えを実践する内に疑は無い。ひたすら自らを島とし、教えを島とする実践に疑を持たない。今は理解出来なくても、実践の内にそれは理解されていく。

合掌





Namo tassa bhagavato arahato samma sambuddhassa. 
阿羅漢にして 正自覚者たる かの世尊に 礼拝し奉る


ネーサンに「壊すために私はお話している」と、打ち明けた。
壊す事は良い事である。
頭の中のコンテツはほぼ、悪見なのだ。なのでせっせ、せっせとそれを打ち壊して行かなければならない。しかし決して暴力的に壊してはいけない。摂受的に、壊れるがままに壊れて行かなければならない。その点、ネーサンには気の毒な事を打ち明けたのかもしれない。

「4.(4) 彼が、大激流が極めて力の弱い葦の橋を〔押し流す〕ように、〔我想の〕思量(慢:自他を比較し価値づける心)を残りなく壊し去ったなら、その比丘は、此岸と彼岸を捨棄する――蛇が、老化した旧皮を〔捨て去る〕ように。(4)」
スッタニパータ http://tipitaka.cocolog-nifty.com/blog/

それは同時に自分の中の思量を壊していると言う自白である。
私は常に念とともに我と言う思量を見(正見)、念とともにそれを破壊しよう、と四念処において為すだけなのだ。そうして壊し壊し、壊し尽くして、此処も彼方も無ければ、彼は勝義を見出す。

「151.(151) 立っているとして、歩いているとして、あるいは、坐し、臥しているとして、眠気を離れた者として〔世に〕存するかぎりは、この〔行住坐臥の〕気づき(念)を、〔瞬間瞬間に〕確立するように。この〔行住坐臥の気づき〕を、〔賢者たちは〕「この〔世における〕梵住〔の境地〕」と言う。(9)」
同上

この部屋は今や静かだ。
「331.(328) 笑い、呟き、嘆き、怒り、〔過去に〕為した幻想、虚言、貪求、思量、激昂、粗暴、汚濁と、耽溺を、〔それらを〕捨棄して、驕りを離れ、自己を安立した者となり、〔世を〕歩むように。(5)」
同上

静けさに何を見出すか?
さて座ろう。

合掌




Namo tassa bhagavato arahato samma sambuddhassa.
正等自覚者であり 阿羅漢である かの世尊に 礼拝し奉る


序 心の解析

アビダンマッタサンガハにおける解析は詳細かつ理解し易いようになされる。
しかし仏教用語が用いられるのでその意が理解しがたい。
ここでは欲界心についての詳察を平易に読み解いてみよう。まずは欲界心の初歩における悪見を詳察汁。

不善心についてのアビダンマッタサンガハの考察1

① 貪根心=a 欲し渇望する貪りの心

貪根心|1、喜倶悪見相応 -無行 喜びを伴い悪を悪と知らず(悪見)自律的に成す事1
   |         -有行 他律的に成す事 
   |2、喜倶悪見不相応-無行 喜びを伴い悪を開くと知って=1
   |    -有行 他律的に成す事
   |3、捨倶悪見相応 -無行 以下1、2、の無行有行に準じる
   |    -有行
   |4、捨倶悪見不相応-無行
   |      -有行


喜=喜びを感じる心
捨=楽でも苦でも無い心の状態


解説

仏教における悪は常に無行=自ら成す行為と
          有行=自他と言う他律的な原因に依って成す行為とに分別される。

悪見は=悪ではない。悪見=悪ではない。
★「不善心 akusala citta 12 賢者から非難されるような罪があり苦の結果の因となる心」
つまり自然状態では自覚する事がなく、その時に即時に罪になる、あるいは熟して悪と見なされるような行為における心的状態をさして悪見と見なすのである。
★における賢者と言う存在は悪と果を分別する存在を指す。
よってそのような指摘の無い自然状態の心を持って非難を目的とする事ではない。何故なら…

仏教における行為の主体は自らにあり、その果を受けるのはあくまでも自己なのである。
仏教に帰依し、教師から学んだ上でなされる行為は不相応の業となり、常に不善心に撞着し、心に定着するから悪見なのである。



次回
瞋恚における解析(注 瞋恚を含む不善心は上記の構造にある部分で相応し、ある部分では相応しない。なので瞋恚以下の痴については簡略になるのでご安心をw
つづく


合掌

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