先週末は,約1年ぶりに鎌倉に行きました

報國寺の休耕庵の茶席のおかげで,わたしは

【答えの出ない問に,向き合う静かな瞬間】を味わうことができました

 

 

 

 

 

 

 

自分がどうしたいか

に向き合うためには,

外的にも内的にも刺激が少ないことが望ましいです

 

すなわち,雑音のない世界に身を置くことが望まれるのですが

悲しいかな,今のように情報過多な時代には

この状況を作るのがいかに難しいことか真顔びっくりマーク

 

 

人によっては,【静けさ】が苦手と言う人もいるかもしれません

なぜなら,【静けさ】によって嫌な記憶がフラッシュバックする場合があるからです

 

矛盾していますよね

自分のしたいことを知るために,【静かな状況】が必要なのに

【静かな状況】が,過去の嫌な記憶を思い出させてしまうという悪循環

 

 

自分としては,【過去は過去と割り切れている】と思えていても,

【静けさ】を味わう機会に恵まれた瞬間に,嫌な過去が思い出され,

社会生活に支障を来すようになる…ということが起こり得ります

本当に腹立だしい悪循環です

 

それでもなお,わたしが,

過去の嫌な記憶を蔑ろにできない理由があります

その気持ちは確固たるものなのですが,わたしの未熟さゆえに

それを秩序立てて説明するのが,今のわたしには難しいです

 

 

ここからは,それでもそれでもそれでも

自分に向き合うために,どうしたら良いか

の提案です

( わたし独特の哲学をななめ読みして頂けると幸いです)

 

 

過去の嫌な記憶が思い出されたら,

【今日は,〇年△月□日,◎時×分】

【今の自分は成人しており,嫌な経験をした当時の自分と異なる】

【あの当時の自分は,まだ子供で,その時にできる最善の行動をした】

と,呪文のように唱えることが有用かもしれません

この呪文を唱え続けることが,【今の自分】を取り戻すヒントとなると,

今のわたしは,思っています

 

 

嫌な記憶が思い出されたとしても,

今に集中し続けると

本当の意味で自分が求めることに

気づけるようになる

 

今のわたしが、身をもってそれを証明することは難しいですが

時間がかかっても,それを証明していきたいと思っています

なぜなら、自分に向き合うと、

精神的にも、身体的にも、健康に生きられるようになるからです