先週末,約1か月ぶりに会った母は,一回り近く小さくなっていました
わたしの心の中の声を,母が聞き取ったのかのごとく,
母がポツリと,
【食欲がなくて,2キロ,痩せてしまったの】
【(中学時代の友人の)●×さんが癌で,1年かけて抗がん剤治療することになったの】
と,つぶやくように言いました
対して、わたしはと言いますと,
母の表情を目で見て確認し、
母の愚痴を聞きながら、
母の肩に触れその温もりを体感できことに、
感謝するばかりでした
人は,何歳になったら【死】を意識するようになるのでしょうか
ここで,わたしの大好きなダイアモンド☆ユカイさんの記事を紹介させてください
こちらは,3月5日の記事です
還暦を過ぎたユカイさんが
「還暦過ぎて60という数字のマジックかもしれないけどあと10年は人生の最終コースをロックンロールして行かなくちゃって思っています‼️」
とおっしゃったのに対し,
大竹まことさんは,
「(70代を過ぎた)俺たちは半年ごとに区切るんだよ。あと半年頑張ろう。そしてそれが過ぎるとあと半年、またあと半年だよ‼️」
とお答えになったとのことです
ユカイさんも,大竹まことさんも,
老いたその先を見据えてどうするか(どうありたいか)を意識している
ことが分ります
かっこいいです,ロックンロールです![]()
(ここで,Excuseさせてください.
わたし自身,ユカイさんの奏でる音楽は聞いたことがなく...
ユカイさんの語りに興味があり,ブログを毎日拝読させて頂いています
)
その一方で,老いにより失ったものを
嘆かれている方もいらっしゃるのではないでしょうか
わたしの母は,40過ぎに肌のシミに固執し,
50過ぎに皴(しわ)を嘆き,
60過ぎに体力の衰えを実感するようになりました
母にとって,加齢は,美貌や体力を失わさせる【グリム童話の魔女】でした
一方,わたしの父は,40過ぎに過去最高の体重を目の当たりにし
50過ぎに健康被害がありながらも,周囲から頼りにされる声に導かれるまま
気づけば定年を迎えていました
父にとって,加齢は【気づいたときには,自分の意見が通らなくなっていた】と感じる瞬間でした
美貌や体力を失うことを恐れるのか
自分の意見が通らなくなることを恐れるのか
はたまた,(病気による)痛みを恐れるのかは
人それぞれです
老いによって失うものは,人それぞれで異なります
もちろん,老いることで安心感を得る方もいらっしゃいます
たとえば,女性性を意識して生きてこざるを得なかった方々にとって
加齢は【女性性】を脱することで楽になれるプロセスと言えます
ただ残念かな,現代の【若さ】を全押しする社会の影響から,
大半の方は【老いによる喪失感】を感じるよう強いられます
ただし,その喪失感の内容は人それぞれであることを
忘れないでいただいたい
というのが,今日のわたしのメッセージです
わたしの母は,美貌と体力を失いたくありませんでした
わたしの父は,自分の意見が通らないことを望みませんでした
老いは,良い意味でも悪い意味でも
自分が大事にしてきた信念が問われる分岐点と
わたしは理解しています
わたしは,父や母の今の状況,
さらには祖父母の晩年を一緒に過ごせたことを通して
老いても失いたくないのは,
自分以外の事柄に興味・関心を持つ(=知的好奇心?!)
ことと,感じています
みなさんにとって,老いても失いたくない事柄は何でしょうか![]()
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