ここのところ、
妥協しないことを
求められる事象によく出逢います


1つは、コアトレ(筋トレ)!
実は、まだ通っています真顔

運動嫌いのわたしが
長く定期的に通い続けられたのは、
かれこれ3年に渡って、優しく、わたしのペースを尊重しながら
指導してくださったトレーナーさんのおかげです笑い泣き
本当、感謝してもしきれないくらいです

…それが!
ここへ来て、トレーナーさんが独立され
スパルタ指導に方向転換笑い泣き笑い泣き笑い泣き
そんなわけで、もう妥協できなくなりました笑


2つめは、研究(学会発表)
データ入力の段階で、面倒になり
条件項目を割愛しようとしたところ
共同演者の先生に

「ダイエット効果を、
Aというジムに通っている人で、
Bというプロテインを飲んでいる人とCというプロテインを飲んでいる人を比較する前に
❷Aというジムに通った人と通ってない人で比較するでしょう

とバッサリチーンチーンチーン
(もちろん、わたしがやろうとしていたのは❶)
そんなわけで、これも妥協できなくなりました


最後は、他者理解
ここで詳細を記述することはできないのですが、
今日のSVでヴァイザーから言われたヒトコト真顔

「経験によって出来上がった、自分の中の
思い込みを、一旦、横に置き
ああかしら、こうかしら、
と相手の背景を肯定的に想像する
ことが、大事よね」

経験による思い込みで判断した方が、
楽だったりするんですよね…
ただ、そう判断し続けている限り、
関係性に広がりが出てこないのも事実

人とひととのかんけい、特に大事な人との関係は、
理解しようとすることを妥協せずに
向き合って行きたいものですピンク薔薇



変化の前って、こうも何かを
極めていかねばならないものなのですかねニヤニヤニヤニヤニヤニヤ