下芳野小学校校歌
芳野の川の水澄みて姿を写す学びやに
強く明るくうでくみあわせ
あーあすこやかーにのびーていく
われら下芳野小学校
芳野の里に陽は満ちて緑かがやく学びやに
清く正しき心を育て
あーあたくましーくすすーみいく
われら下芳野小学校
芳野城祉に雲ひかり希望がおどる学びやに
愛と平和の旗なびかせて
あーあとこしえーにさかーえいく
われら下芳野小学校
作詞 大畑氏
作曲 牧野氏
作詞の大畑氏って確か総社水分神社(上芳野)の神主さまじゃなかったっけかな?ウタメグルの取材の記憶が正しければ(☆。☆)
神主さまの
作詞とわかっているならば歌う方も背筋ピーんだよね('-'*)(,_,*)('-'*)
日本を欧米諸国に負けない近代国家に育てるためには国民皆学を理想とした維新政府はフランスの制度の「学制(学令)」と言うものを発布し学校教育の制度を定めた。そしてこの地、下芳野も立教舎(宇賀志)の分校(ウタさんの宇太小学校、参照してね!)を設けたが後に第十四中学区第二一九番下芳野小学として独立
芳野村の藤村氏の家を借用し 隆盛館と称することとなった。
明治9年(1876年)3月のことである。
時が経つこと20余年、明治33年(1900年)4月、現在地に新校舎が完成したとの事です。
それから後は 教育令の発布尋常小学校と高等小学校の確立教育の戦時体制化国民学校令の公布民主主義の教育と時代に反映されつつも下芳野小学校は地域の教育の場として現代に至ったのであると言われています
しか~し平成18年(2006年)この小学校も廃校となったらしい。
。゚(T^T)゚。
宇太小学校に次ぎ開校以来130余年に及ぶ歴史と伝統と思い出が詰まった下芳野小学校
「少子化、過疎化という時代の流れどうすることもできないのが実感。
下芳野小学校が無くなってしまうのは本当に寂しいことです。」そして
「この小学校の児童は28人ですが新しい学校になると全校児童が200人を超えます。子供たちには気後れすることなく下芳野小学校で学んだ事やこの地域に対して誇りを持って進んでいってもらいたい。」と
当時の校長先生(柳本氏)は児童たちに気遣いの言葉をかけたそうです。(b^-゜)
このお言葉には当事者じゃないけど感動しましたよ。゚(T^T)゚。
百葉箱がありました(^∇^)走り寄ってみると、きちんと扉には南京錠もかけられてあり今現在も温度計や湿度計が観測をしてくれる人を待っているかの如く その日の温度と湿度の目盛りをハッキリと指していました。
昭和54年度卒業生寄贈の記念時計は11時34分でタイムストップ
今現在では40才になられているのですね 同窓会などしてらっしゃるのでしょうかね
2年前に廃校となった校庭には雑草も生えてなくて荒れてなくて
さっきまで児童が笑顔満面で遊んでたって感じがしたんですよね
ヘ(゚∀゚*ノ
登り棒(・・;)??
メグルも小学生の頃こんな遊具に登りました(*^▽^*)
雲を捕まえたくてねヾ(@^▽^@)ノ
メグル
(奈良県宇陀市菟田野区下芳野)