まずは、ずっと前から文庫化を切望していた高村薫の『レディージョーカー(上中下)』。いつも文庫化にあたっては、これでもかというくらい(時にはオチにまで)改稿する作者が、実に十数年を経て送り出すのだから、これは買うしかないだろうってば。表紙が似ているので、新堂冬樹(日サロ焼けの偉人)の『カリスマ』と間違えないようにしたい。
そしてもう1冊(正確にいうと4冊目)は、伊藤計劃の『メタルギア ソリッド ガンズ オブ ザ パトリオット』。ゲームのノベライズ、というかノベライズなぞは大体がっかりするのでまず買うことはない。だが『メタルギ(長いので略)』は伊藤計劃がノベライズ化したというだけの理由で購入。なにせあの伊藤計劃だ。面白いのは間違いなさそうだ。とはいえ、お恥ずかしい話、伊藤計劃なる作家を知ったのはつい最近だった。
ある日書店で見かけた『虐殺器官』という意味深なタイトル。伊藤計劃という不思議なペンネーム。惹かれた。さらに、大御所が名を連ねた大仰な帯の宣伝も振るっていた。そしてなにより、『ゼロ年代最高のフィクション』らしい。なんか凄そうだが、ようはここ10年で一番おもしれーってことのようだ。
そこまで色々薦められると、臍曲りなボクは買わずに帰ってしまう。実際、その場では買わずに帰ったが、心のどこかに引っかかるものはずっとあった。
まあそんな感じで褒めてるんだが貶してるんだかよくわからんが、読後はいやはや凄いと感じた。SFといいつつも、妙な浮遊感だけを味あわされることはなく、戦場のリアリティは地に足が着いた妙な落ち着きを感じる。悲しいとか嬉しいとかが麻痺したリアリティ。
ボクらが普段放り込まれているこの世界が平和だと感じさせられるのは、悲劇を悲劇と、喜劇を喜劇と思えるからなのだろう。マグロの寿司を満面の笑みで頬張りながら、ある個体種の絶滅を危惧して悲しむなんてホラー以外の何ものでもない。戦場でその悲劇や喜劇を感じることはできない。ベトナムやカンボジアの子どもが無表情なのはそのためだ。
痛みを痛みとして感じない、とか戦争代行企業の存在、とか戦争に駆り出される少年少女達を見舞う性暴力とか、今日的な問題を問題としてしっかり提示しつつ、そこそこのユーモアと残虐性でもって纏め上げた筆力はお見事。
夭逝で残した長編はわずかに3冊。噛み締めたい、と思った。
虐殺器官 (ハヤカワ文庫JA)/伊藤計劃


