お盆が過ぎて、暑さはまだまだきついけれど、少しずつ日が短くなった気がする。


先日、父のお墓参りに行き、「あと、何回ここに来られるのだろう。」


と漠然と思った。年に2回くらいなので、平均寿命の80歳まで生きても、足腰丈夫なうちしか行かないなとか考えると、数十回と数えられるくらいなんだな。。と。


そう考えたら、また三女のいる彼方に行けるのも、そんなに遠い先ではないな。と嬉しくなった。


こうやって、あと何回くらい。って数えるのも悪くないな。


月一回の四女ちゃんのお片付けの日、こだわりの物たちを全部捨てられなかった四女ちゃんが、突然脱皮した様に一生懸命に物を選別し始めて、たくさんの洋服やグッズに別れを告げていた。


四女ちゃん、お部屋スッキリ✨✨


なんか、私も急に「よし」と思い立って、三女の洋服をいーっぱい詰めてある箪笥を開けた。


2年前に引っ越してきた時には、まだ三女の匂いがあちこちからしたけれど、もう匂いもほとんどしない。


寂しいなあ😔とも思ったけれど、

大丈夫だよ😊とも思った。


一枚一枚広げて、


これはあのお店に行った時の

これはあの時に一緒に買った

あの写真では、このワンピース着ていい笑顔

いつも着てたよね

こんな暑い夏にあの短パンはいて寝てたな

クラスTシャツ、文化祭楽しそうだったな

部活Tシャツ、名前入ってるな

etc、etc、、、


2年前みたいに、胸がギューっとなりながら一枚も捨てられなくて、泣きながら綺麗に畳んで箪笥に詰めて行ったのとは違って、思い出しながら温かいものを感じながら、


「これは?どうする?ママが着ようかな。」

「次女ちゃんに聞いてみようか?」

「これは、さよならできるね。」

「リサイクルショップに持って行ってみる?」

「シミになっちゃったね。」


三女と会話しながら選別。


私が仕事着にできそうなもの、パジャマにしようかなというのもある。


箪笥5段分が2段に。


まだ、どうして良いかわからないものはそのまま。


三女、これでいいよね。


三女が行方不明になり、2ヶ月探し歩いた結果、お骨になって見つかった直後、私はなぜなのか今でも良くわからないけれど、衝動的に三女の制服を捨てたのだ。


腹立たしくて、許せなくて、訳が分からなくて、、


なぜ八つ当たりしたのが制服だったのか。


私自身が、学校という枠組みがうちの子には合ってない時思う場面が多かったのもある。でも、それは弱い。


三女が高校に入学してからあまり勉強には向かず、友達関係や、遊びや、バイトに明け暮れていたことを、自分が忙しくて放任しておきながら、三女に口では「楽しくて良かったね」と言いながらも、腹の底では、こんな学校に入れるんじゃなかった。とか、もっと、三女の穏やかさや探究心に合った友達の多い学校に、無理しても行かせた方がよかったとか。そんなどうしようもないタラレバを思っていた。


「女子高生」なんて、チャラチャラしてるから‼️


そんな思いは、ブーメランの様に🪃自分に戻ってきては突き刺さり、すぐに血が噴き出してくる。


忙しくて勉強を中学生から見てやれなくなった事や、忙しさにかまけて妹の面倒を当たり前の様に見させてしまった事、自主的に何でもやる三女が、勉強しなくなったのは、「忙しい」と働いていた母親の私が100%、1000%悪いのだからと、自責に苛まれた。


制服が、憎たらしかった。憎くて仕方なかった。

当たるところが、制服しかなかった。


三女、制服、真っ先に捨ててごめんね。


今日は、そんな自分も一緒に抱きしめた。


辛かったね。

大切だと思うから、敢えて厳しく言ったのにね。

一生懸命必死で探したのにね。

必死で、育ててきたのにね。

足りないところもそりゃあちこちあったけど、

自分なりに精一杯頑張ってきたのにね。

大変だった次女ちゃんがやっと落ち着いてきて、

「さあこれから三女の事をやってあげられる。」

そう思っていたのにね。


自分を可哀想がるなんて、ばかみたい。

娘を死なせてしまったのに、

三女はもっともっと可哀想だったよ、

もっともっと辛かったよ、

全部母親の自分のせいじゃない。


そんな声が、聞こえてきたら

「今はやめてね」

そうやって、静かに払い除けて


「頑張ってきたね」

ではなくて、敢えて


「辛かったね。」

「辛かったんだよね。」


あの時の、どうしようもない、やり場のない

置いてけぼりの私の心に手を差し伸べて、

沢山たくさん抱きしめた。


四女ちゃんの洋服やおもちゃ、グッズ。

三女の洋服。ママの洋服。


袋3つ分だよ✨


四女ちゃんも、私と同じく三女がいた時のものを、一つも捨てられなかったのかもしれない。


心なしか、2人とも気持ちスッキリ。

そして、ここに辿り着くまでに、三女の服を処分する事について、誰かに煽られたり、促されたり、物理的に追われたり、せざるを得ない場面に遭遇したりしなかった、これまでの全てに感謝の気持ちが。。


1番何か余計な事をついつい私に言ってしまう実母とは、距離を取れる様に姉たちが取り計らってくれ、仕事は忙しくても、三女の事で感情を逆撫でされるような事もなく、同じ悲しみを携えて歩くママやご家族と沢山ご縁があり、温かい繋がりで支えられて今がある。


朝ドラのあいみょんの主題歌。

「愛の花」

長女も私も大好きだけど


〜私は決して今を

今を憎んではいない〜


この歌詞を聞くたびに、胸に温かいものがゆっくりと広がる。


今まであったこと全てを、受け容れるなんて大それた事はできないけれど、


「今を憎んではいない」


これは、自信を持って言える。


三女の最期の文章の最後に書かれた一文。


「関わってくれた全ての人に、

心から謝罪と感謝を」


三女らしいよ。謝罪なんて要らないのに。

そう思ったけれど、やっぱり遺された方々への申し訳ない気持ちを書かずにはいられなかったのだろう。


そして今日、思ったのは、生きている限り謝罪と感謝の繰り返しなのかもしれない。


親が教えてやれる事は


「ありがとう」と「ごめんなさい」

が言える様に。


そこを大事にしてきたから、三女は最後まで、親の教えを忠実に守ったんだな。


そう思った。


だから、私も今もこれからも三女に

「ごめんなさい」そして「ありがとう」

で良いのかもね。

と、パズルの1ピースが嵌る様な音がした。


三女。

空が晴れたら愛を愛を伝えて❤️


でもね、ママは


空が晴れずとも

愛を胸に祈るわ

貴方に刺さる雨が

風になり

夢を呼び

光になるまで


2番の歌詞みたいに、ママが光になれるまで愛を胸に祈ります。


大好きなんだよー😭❤️

愛してるんだよー‼️💖