やっとすこし整理できる状態になったので、未来のために言葉にしようと思います。

同じ自死遺族の発信を読み、胸の奥がずっと痛むような感覚が続いています。
その方は、子どもを亡くした親としての経験や支援活動から、精神科医療や発達障害、子育てについて強い言葉で語っていました。

その気持ちの背景には、きっと深い悲しみがあるのだと思います。

だから私は、その方を否定したいわけではありません。ただ、その発信を読んだとき、自死遺族として、そして障害児教育に長く関わってきた者として、どうしようもなく落ち込み、絶望感を味わい、心が深く沈んでしまったのです。

◆ 子育ては「手がかかるのを楽しむ」だけでは語れない


その方は、子育てについて障害があろうと「手がかかるのを楽しむこと」と書いていました。
けれど、障害児育児はそんな単純な生半可なものではありません。

我が家の様にてんかんがあれば、夜中に何度も起きて呼吸を確認し、発作が起きれば搬送し、学校や医療機関と連携しながら、親は必死に働き、必死に支え、必死に生きています。

多動や逸脱があれば、家のあちこちに何重にもロックをしますが、その「冒険に出たい!」という本能で、すぐに突破されます。悲しい事故も多くあります。

それでも、子どもが笑ってくれた瞬間に救われ、小さな成長を一緒に喜びます。
そういう「かけがえのない時間」を「なんとか」見つけながら、生きた心地のしないような毎日を積み重ねているのです。

仕事で出会う自分以外の障害児を育てるママパパたちの地道さ、誠実さ、実直さにいつも本当に頭が下がる想いです。

障害児育児は、過酷で、尊くて、そして深い愛情に満ちた営みです。

それを「楽しむ」という一言で片づけられるほど、浅はかで軽いものではありません。

だからこそ、仕事の場でも面談などで泣き出してしまうママもたくさんいます。いっぱいに涙を流して想いを吐露してもらい、今後を一緒に考えながら、希望により連携機関となるべくたくさんの人たちで家庭を支援できる様に努めます。

その中には、もちろん児相や精神科もあります。

命を守るために、連携するのです。
何かあった時に、言い逃れをするためなどではありません。

そう言った連携に救われた家庭もたくさん見てきました。
我が家も、そうやって精神科医療に助けてもらったことは過去たくさんあります。

自死遺族の中には、不適切な精神科との悲しい過去がある方がいらっしゃるのも知っています。上手く治療に繋げられなかったと悔やむDr.もたくさんいます。

学校の先生たちも、教育委員会の人間も、基本的には真面目で勤勉な人たちです。もちろん保守的ではあるし、組織的な構造として守りに入る事もあります。しかし、他の業種と同じく悪どい人や、出世欲の強い人、同調圧力などもありますが、どちらかといえば、それは攻撃を受けた時に強まるものです。

なので、今後の防止の観点で「本気で」社会を変えていきたいのであれば、保護者や支援者が建設的なストロークで、対話と法的根拠を基にじわじわとアプローチするのが1番効果があります。

 ◆ 精神科医療に救われた人たちが確かにいる歴史がある


また、その発信では精神科医療や薬物治療について、かなり強い言葉で親に対しても否定的な言葉が続いていました。

けれど、私は知っています。精神科医療に救われた人がどれほど多いかを。

それは、精神疾患を抱える子供を持ち、血が滲むほど勉強したからです。

抗精神病薬によって社会生活が可能になった人、適切な診断と支援によって学校に戻れた子ども、医療と福祉の連携で人生が安定した家族。

精神科批判は、精神科領域の病状の「否認」に繋がります。精神科疾患において、否認は最大の課題です。神経発達症(今は発達障害と言わない方向性も国際的にはあり)において、保護者が否認してしまう事で、子供に過剰適応を求めてしまう事もあります。

精神疾患や、神経発達症は、ダメ人間だと言われたわけでも気が狂ってると言われたわけでもなく、脳の癖や偏り、状態(過敏や過覚醒、鈍麻、認知構造など)について、説明を受けただけのことなのです。

それらを正しく知ることにより、バウンダリーを設けたり、休息を適切に入れるなどして無理のない生活にしていくためです。

そこに、過敏な反応をするのは逆に昔ながらの差別意識があるからではないかと思うのです。

ただし、やはり精神科医療は完璧ではありません。様々な医者がいます。保険や組織課題もあります。

不適切な医療が存在することも事実です。
しかしそれは「医療の質の問題」であって、どの医療にもあることです。
患者は然るべき手段で対応する、転院する権利もあります。

確かに自死遺族の中に不適切な精神科医療を受けた悲しみがある方は多いですが、だからと言って全ての精神科医療や服薬そのものを否定してよい理由にはなりません。

精神科医療は、多くの人の命と生活を守ってきた歴史ある領域です。これにより、どれだけの人が救われたか。どれだけの偏見や差別が社会で許されざるものになったか。
でも、残念ながら精神疾患自体も決して無くならないという悲しい現実もあります。

抗精神薬を飲ませたから障害児になる、精神疾患になる。そんな医学的根拠はどこにもありません。

◆ 自死遺族として、未来に暗雲を感じた


その発信を読んだとき、私は同じ自死遺族としてかなり深く傷つきました。
多くの自死遺族は、
「医療につなげたことが悪かったのではないか」
「診断を受けさせたことが間違いだったのではないか」
そんな自責の念を抱えながら生きてる方もいます。

三女は精神科にかかっていませんでしたが、もう少し早い時点で連れていけば良かったかという後悔があるくらいです。
次女の主治医も「連れてきて欲しかった」と長いお付き合いの中で、三女の相談はしていなかった私に、涙ながらに言ってくれました。それは、驕り高ぶったものではなく、医師として家族に何か出来ることがなかったかという後悔を含んだ真摯で誠実な想いで、会ったことのなかった三女を深く悼む言葉でもありました。
主治医は裁判の際も色々協力してくれました。

だからこそ、精神科医療や発達障害(神経発達症)を闇雲に否定する言葉は、私の心に鋭く深く突き刺さりました。

8歳違いの障害児2人を育ててきて感じてきたこと。
少しずつ社会は成熟してきている。医療も教育も福祉も、少しずつだけど着実に良くなっている。
光の幅は広くなっているのです。

それは、たくさんの当事者や家族が地道に、根気よく、声を上げてきたからであり、声高に批判ばかりをしていたのでは実現しなかったと心から感じているのです。

自死遺族になり、どの天使ママも真面目で優しくて素敵な方ばかりでした。
お子さんたちも、本当に素晴らしい子たちばかり。

その事実にどれだけ私は救われたでしょう。

しかし、このまま根拠なき精神科批判を声高に垂れ流す人が増えてしまったら、精神科領域の自死防止の観点は、正常に発展しなくなってしまう。その様に感じたのです。

多くの人とは違う障害児を産み育てて、何を1番に思ってきたか。。

この子を、まずは知ってください。

知ってもらって初めて、こうしてもらえるとトラブルが減ります。とか、効果的ですとか伝えられるのです。

障害児を育てるママたちの努力は、地道に少しずつ進歩してきたのです。

知ってもらう前から、批判という武器をただ振り回していたら、誰も聞いてくれませんし、行動分析上確実に離れていきます。

そんなことばかり伝えていたら、心優しい天使ママたちも、根拠なき批判を繰り返す人たちだと同等認定されてしまう。
そう思い、暗雲さえ感じてしまったのです。

私は、医療の功績も、医療の課題も、両方知っています。
障害児教育の歴史も、現場の苦労も、両方見てきました。
自死遺族としての痛みも、視点も持っています。

だからこそ、どちらか一方だけを強く否定する発信は、決して社会を良くする方向には向かわないと感じています。

医療にも課題がある。
支援にも課題がある。
学校にも課題がある。
家庭にも課題がある。

でも、それぞれが少しずつ改善しながら、子どもたちの未来を守ろうとしている。
その努力を、私は信じたいのです。

三女
長すぎましたね。。またまた不安
今回は感情の整理に長くかかったよ。
どうか、お空のお友達のパワーで、武器を振り回さない方向に乗せて欲しいな。

大好きだよ😍
愛してるよ💕