GWも終盤ですね。

4月の末に、次女ちゃんは無事に都会の大学病院からお山の麓の病院に転院しました。


無事に。。

とはいえ、中々大変ではありました悲しい


病状としては回復傾向ではありますが、元々の特性であるASDは環境変化にものすごく弱いのです。


転院先のルールやおよその流れは先に聞いておき、事前説明をして見通しを持たせましたが、タクシーで1時間以上の移動、転院当初は様子を見るために急性期病棟での対応のため、私服が着られないなど、やはり本人の心理的負荷は大きかった様で、インテイクの診察後に癇癪を起こしてしまいました。


春先の躁状態は毎年のことでもあり、良くなってきたからこその、特性的な環境変化の反応としては想定内ではあったものの、奇声をあげながら、持ち込めないと言われた私物を次々に私に投げつける次女の様子を、上のドクターが静かに廊下から見て、いくつかの持ち物を合理的配慮として許可してくれたのは助かりました。

また、それだけの癇癪を見ても特性からのものであると、保護室ではなく一般個室で進めてくれたのも、長年診て頂いている主治医との連携あってのことと感謝の思いで帰りました。


帰りながら、幼い頃の次女ちゃんの癇癪を懐かしく思い出しました。全くそのまま26歳になって再現してくれた感じだったからです。そして、発達途中、てんかんの治療薬でボーッとしてしまったのもあり、いつしか癇癪を起こせなくなった次女ちゃんを思いました。


ある意味、今回治療が進んでこれだけの反応(安全地帯に当たり散らす💦)が出せるようになったとも言えます。


「適応」には2種類あると言われます。

「社会的適応」と「心理的適応」です。

一般に「適応している」と言われるのは、社会的適応を指していることが多いと思います。

次女ちゃんは、学校社会の中によく適応していました。耳からの情報を正確に捉えアウトプットするため、なるべく丁寧な言葉で育てました。なので早くから敬語が上手でした。元来優しい子なので、困った友達にも優しいけれど、自分が困っていることには気付けない子でした。


社会性が育っていると本人も家族も学校もご近所さんも、みんなみんな思っていました。


でも、だんだんこれは違うのでは。。と感じたのは、突発的な問題行動が出てくる様になった小学校高学年からで、精神科に通い始めたのもその頃からでした。


氷山モデルと言われる、問題行動が噴火するお山の裾野には、氷山の氷の下に隠れた無数の要因があり、その要因を解決しないと行動は変わっていかないとされる、その「裾野」が見えにくい子でした。


間違いなくASD(当時は自閉症と診断)なのですが、さほど教えなくとも集団での適応行動を取ろうとし、また上手に取ってしまうのです。


2歳上に長女ちゃんがいて、社会行動のモデリングだったことは大きいでしょう。


そして、3歳下に三女ちゃんが生まれて、「姉でありたい」と思う強い気持ちから、過剰に適応したことは、本人の話からも語られています。


今ほどに、学校も神経発達症(当時は発達障害と呼ばれました)に理解がなく、集団心理を操って適応行動を強いた事は、1番の大きな原因だとは思っています。


次女ちゃんは、社会的適応を過剰に積み重ねながら、心理的適応においては本人も周りも過小評価してきたのだと思います。


様々な要因はあるにせよ、次女の病状が悪くなるたび、やはり母親としては自分を責めてきました。丈夫に産めなかった、育て方が悪かった、環境を整えられなかった、離婚したから、あの時、この時etc。。。


自責の後は我が子可愛さゆえに、何とかしてやらねば。何とかしてやりたい。その強い気持ちに覆われてきました。


私1人で抱えない様に、たくさんの方々に親子で支えられて、頼らせてもらってきましたが、結局は母が中心になって動かざるを得ないことに、次女自身も26歳にもなって自分は。。と自信をなくしていきました。


昨年末の搬送後、てんかん発作を数年ぶりに起こし、その後の大学病院での服薬調整も、中々大変な事は続きました。


しかし、写経をボチボチする様になってからは、少しずつ私自身の心のあり方が変わってきたと感じます。


次女の人生は代わってやれない

次女の辛さも苦しみも、私が取り除いてやる事はできない

次女は必ず自分の生き方を自分で見つけていく。。


そして、


私は母として親として、1人の人間として、次女と精一杯誠実に関わり、できることをできる限りしてきた。


そう思える様になりました。

そしてそれは、三女に対しても同じ様に思える様になりました。

ここで、沢山のご遺族と関わらせて頂き、また空の三女の存在をしっかりと感じられる様になったのも大きいと思います。


「死は存在しない」

の著者、田坂広志さんのサイトで、ひとつの寓話の紹介がありました。


心理学者のユングが、

宣教師リヒャルト・ヴィルヘルムから聞いたと言われる話に、

「雨降らし男」の物語があります。

これは、次のような物語です。


中国の地方のある村で、

干ばつのため雨が降らず、村人が困っていました。

そこで、村人は「雨降らし男」を呼んできて、

雨を降らしてくれるように頼みました。

すると、その男が、小屋をつくって篭ったところ、

三日目に雨が降り始めました。

その雨に村中が大喜びし、お礼を言うと、

その男は答えました。

 あの雨は、私が降らしたのではない。

 この村では、天の秩序に従って村人が生きていなかった。

 そのため、雨が降らなかったのだ。

 そして、その影響を受け、

 この村にやってきたとき、私も天の秩序に反する状態になった。

 そこで私は三日間篭って、私自身が秩序の状態になるのを待った。

 すると自然に雨が降ってきたのだ。


この話は、東洋的な神秘の物語にも読めますが、

実は、我々が、職場などにおいて、

しばしば経験していることではないでしょうか。

職場におけるメンバーの心の和が乱れているとき、

すべてがうまく動かなくなるときがあります。

しかし、そのとき、何にも働きかけず、

ただ、その中心にいるマネジャーが、心の静寂を取り戻すだけで、

その職場に心の和が回復し、

物事がうまく動き出すことがあります。

マネジメントとは、

そうした深みを持った世界でもあるのです。


 田坂広志公式サイト〜未来からの風〜より


この寓話は、ユング心理学の故河合隼雄氏の著書にも紹介されているものです。


次女の事は、職場のマネジメントとは角度は違えど、この寓話には私自身が整っていなければ、次女の支えになる事はできないと襟を正される思いでした。(と言っても、感情のジェットコースターの中で🎢ですが。。驚き)


学生時代の心理学概論の授業で初めて触れた河合隼雄さんの言葉の数々は、その後私の人生のあちこちで支えとなりました。


若い頃にバイブルとして繰り返し読んだ

「こころの処方箋」

には


ふたつよいこと、さてないものよ


という、河合隼雄さんが「割と好きな法則」として紹介している言葉があります。


様々な角度から意味がある言葉だと思いますが、若い時には諦めの強い言葉だと感じて、あまり好きになれませんでした。

でも、今の私は次女の一つ一つの経過に対して、代替的に起こる事象を思う時に、この言葉をふと呟くと落ち着くのです。


ふと呟いて落ち着く。。なんて言ってしまうと、実は少しカッコつけすぎで、実際は次女ちゃんとのやり取りやら反応やらに、毎回まあまあ凹みはするのですが、継時的に自分の中で情報処理をする中で、妥協的にこの言葉を思い出して呟く。。そして、何とか収束、着地する。。という感じかな。。


4人の子に恵まれ、離婚、逆縁も経験して、様々な個性、特性を学んで共に歩き、共に生きることを半世紀以上生きてきて、やっと覚悟したのかもしれません。いや、まだまだ全然覚悟が足りないのかもしれません笑い泣き


三女

お山の麓のお家は🏠快適です。

眺めるお山の下の方から淡い緑の新緑が、だんだんと山頂に向かって広がっていくのを毎朝ワクワクして眺めています。

長女ちゃんも四女ちゃんもお泊まりに来て楽しく過ごしたね♪

次女ちゃんのこと、よろしくお願いします。ママは次女ちゃんの感情にのまれないように、できることを淡々とやっていきます。

この土地に来て、あなたをより近くに感じられる様になった気がします。

ありがとう😊


この土地にシェアハウス作りたいなー!

(言っているうちにできる気がする🤣)


大好き💕💕

愛してますよ飛び出すハート{emoji:609_char4.png.愛}