大学卒業後半年で結婚、割とすぐに子宝に恵まれ、それ以降、子育てしながら夫に振り回されながら、子供の病気や障害についての学び、医療受診、入退院、生計を立てるため、子どもたちを育てるための仕事と学び、人生における最大イベント離婚計画、離婚後の就労のための勉強、資格取得、就労、就労のための子供たちの支援ネットワーク作りetc。。。。。
生活基盤がやっと安定した頃、
三女が彼方へ。。
振り返れば立ち止まらずによくやってきた。
これでもか、これでもか、
なんで、なんでよ
そう思いながらも。。
だから、うん。よくやってきたよ。
と、セルフ褒め褒めすることにしている。
「やってきた」の「やる」
ってなんだろう。行う?
一般的には英語では「Do」なんだろうか。
でも、自死遺族になってからの、「よくやってきた」は主体的なイメージの「do」というよりは、やはり英語で表現される「survive」なのかな。人それぞれだろうけれど、個人的には、surviveよりも、もう少し温かみのある言葉のイメージが欲しいなと感じる。
絵本「ふたりはともだち」
(光村図書では2年生で学習)
に出てくる「かたつむりくん」
何をやるにもゆっくりで、かえるくんからのお手紙をがまくんに届けるのを頼まれて
「すぐやるぜ!」
と言いながらも、4日もかかっちゃう。
この、がまくんとかえるくんとかたつむりくんのやり取りが私は大好きで、子供たちから頼まれた事をすぐできなくて催促されると、かたつむりくんの真似をして
「すぐやるぜ!」
と言って、誤魔化して笑わせてた😆
三女も少し大きくなると真似をして、よくかたつむりくんになって誤魔化してたなあ。
今でも、仕事で理不尽な指示やら催促があると、
「すぐやるぜ!」
と、ふざけてお話の注訳を入れながら
「そんなわけで、かたつむりくんは時間がかかるかもです❤️」
と言っては相手(大概は上司)の脳内をクルクル🌀させ苦笑いさせる。(仕事はそっこーでやるんだけどね。。)
このかたつむりくんの「やる」は、英語で言えば
「got it!」
日本語で言う「了解!」「ガッテン、承知!」みたいな雰囲気なのかな。
「了解」とか「承知しました」
って、人により本当に幅があるもの。。ね😅
本来なら自分やチームのペースで大きな枠組みの中で進めた方が良い仕事なのに、お上の無理矢理な指令によりヘンテコな事になる場面で、主に私の中からこの
「かたつむりくん」が出動する。
私の場合は「真の部分は承知してないぜ」という思いを込めながらも、その場の雰囲気が壊れない様に「かたつむりくん」を演じて、間に合う様には仕事しながら、「でも、本来はこうあるべきですよね。その様に上には上げて頂きたい。」とやることやってから意見する。すると1割くらいは上に上がる。そして、改善される「事」もある。
結局、今の仕事はこうして小さな事にも無気力になることもなく、この仕事が自分にとって意味のあるものであると深く感じるし、少しなりとも役に立つこと、10回に1回でも改善される事、たくさんの人様から学ぶこと、そして、何より楽しい事。と、恵まれていると思う。
よりよく働くこと。
関わる人たちが、
悲しむことのない様に。
苦しむことのない様に。
働く人々が
壊れない様に。
護られるように。
そう考えたら、お上の言っている
「やれ」
には、期日に明らかに無理があったり、内容がめちゃくちゃ矛盾していることが多い。
なんで平気でそんな
「やれ」
を言えるのか。
それは、それぞれが自分の任務をこなす事に精一杯で、思考停止しているから。
国、自治体
公務員が思考停止する国。
安全な訳がない。
幸せな訳がない。
「きっと大丈夫」
「毎年こうだから平気」
「この前例はないから放置」
そんな、世の中ではまあまあ処理能力が高いとされる人々が起こす思考停止。
思考停止こそが「能力」とされる場面もある。
だから、理不尽な「やれ」は、shrap!と同じだと思う。私、shrap!しないけど😅
警察が、学校が、病院が、教育委員会が、諸官庁が
思考停止した瞬間に、様々な悲しい事が起きる。
何か事が起きれば、原因は有耶無耶のまま、見た目の傷を小さく済ませる事だけを考える。
公務員における組織の末端は、それぞれがプロフェッショナルでなければならないはずだ。
それぞれが国民、市民の窓口になる訳だから。
誰がなんと言おうと、自分はそうあるべく近づきたい。
そして、そう思う若者たちを私は潰したくない。
日々忙しすぎると、その楽しさよりも辛さや怒りが沸々と出てきてしまう事もあるけれど、閑散期に入れば自分のペースを取り戻し、やはり、自分が楽しいと思えるこんな仕事は、そうそうないもんだ。と感じる。わがままだな。
思考が全開に、想像力豊かに次の展開を考えられる。あゝ楽しい。若い人も目がキラキラする🤩
そう、若い時のキラキラ🤩は周りにいるジジババの質にかかっていると思う。
好奇心、勢い、失敗できる環境、自分への期待、未来への希望、怒りも、無鉄砲さも、みんな大事。
私は若い時から好きな事、やりたい事をやらせてもらっているのだと思う。周りの環境に改めて感謝を感じる。何も恩返しできてないけど。。
学生時代によくお邪魔していた山小屋の近くの湖畔が、コースに含まれているバスツアーが目にとまり先日行ってきた。
子育てがひと段落したら、ご挨拶に行きたいな。
あの静かな涼しい山の中に、また行きたいな。
そう思いながら、別れた夫はアウトドアが嫌いだったし、仕事と家庭に追われて中々行けなかった。
今回、三女が一緒に行きたかったのかな。
と思うほどにタイミングよく申し込みしていた。
鏡の様に静かな湖面に映る空が、まるで
「天と地は繋がってるから安心してね。」
そう言ってくれている様だった。
山小屋のお母さんにも挨拶できた。
懐かしい話や、これまで4人の子育てをしていたことなどをざっと話して、懐かしんだ。
今度は、降り注ぐ星空を見に行きたいな。
三女、一緒に行こうね。
もう一つ、かねてからやってみたかった事。
「第九を歌う🎵」
これも、今年は念願叶いそう。
数ヶ月前、買い物帰りに、ふと別の道で帰ったら掲示板にベートーヴェンが貼ってあった。
なんか、あれ?と思いながらもすぐに申し込み。
この夏から練習が始まった。譜面も買った🎵
ドイツ語は、学生時代にはフランス語履修で勉強していなくて💦発音が難しいなあ😓
でも、めちゃくちゃ楽しい。
三女、ママにやりたい事全部やれって?
surviveではない、かたつむりくんでもない
「do」を?
何だか、すごくママが踏み出せなかったことを沢山ぶち込んでくれてる気がするけど、これでいいんだよね。もちろん、あなたの姉妹の事もちゃんとやるからね。
やりたい事をやる。
ママはそれしかできないでそ?
あなたが良くわかってくれているからなのかな。
ママがあなたにプレゼントした岡本太郎さんの本。
あなたは凄く感動してたけれど、あなたの遺した文章には、
「最後まで、自分の意見とか、考えとかわからなかった」
そう書いてあった事に、ママはとても後悔したんだ。みんなと調和する事を望むあなたの人生を、ママは「やりたい事をやりなさい」と言う事で、いつもいつも追い詰めて、壊してきていたのではないかって。
元来我の強いママは、調和する事があなたのやりたい事であると、真の部分では理解できていなかったのかもしれない。
あなたが空に還ってもなお、本当にわかっているのかどうなのかも自分でわからない。
でもずっとずっと思考は止めないよ。
ママはあなたやあなたの姉妹が幸せになる事しか考えていないから。
それには、社会は少しずつでも変わっていってほしい。その為に、おふざけしながらも言うべき事はしっかり言っていくし、仕事だけに忙殺されない様に、自分の楽しみも増やしていくよ。
ママがいつまでもいつまでも、やりたい事をしっかりやりながら、やるべき事もしっかりやっていく事は、きっと家族が健康で生活しつつ、あなたのお空での魂の活動を支えていく事に繋がると思うから。
みんなが、それぞれに自分の道を歩く事。
親子でも、それぞれの魂だから。
ママ、surviveもかたつむりくんもdoも大事にしながら歩いていくからね。待っててね。
そうそう、こんなの見つけたよ。
面白くて見入っちゃったわ。
くねくねしたタローマンの動きは、今のママには必要なのかもね。
教えてくれてありがとう😊
大好き💕
愛してる😘
https://youtube.com/playlist?list=PLgxVsuyslEFP5GG5bvA50L0-zd4VWJ95r