​さくらさくら


関東のソメイヨシノは、満開から葉が少しずつ顔を出す様になってきました。


桜と空のハーモニーが綺麗💖


若い頃は、満開のソメイヨシノはあまり好きではなくて💦

緑のないそのフワッとした現実感のない雰囲気に、大人達が綺麗だ綺麗だお花見だ❣️と浮かれているムードも好きではなくて。。。😅


なんと捻くれた子供だったのでしょう😂


今はソメイヨシノの美しさも素直に喜べる様になりましたが、それでもやはり空の青さや、隣の木々の緑と一緒にファインダーの中へ収めたくなるのは、私の「魂の癖」みたいなものなのかしら。


昨日、長女と話をしていて


長女:「ままん。たーいへんな人生だよね。毎回、どんだけチャレンジャーだよっ⁉️って思うわ。」

私:「うん、なんか、このチャレンジ人生選んだみたい😅」

長女:「我が人生に悔いなし‼️って最後に言いそうだよね。」

私:「言うね。多分ね。」

長女:「ずーっと先にして。長生きして。」

私:「えー‼️あんまり長生きしたくないけど、でも何だかんだ長生きしそうだよね💦」


2人で笑いました🤣


三女はよく、

「ママ130歳、三女100歳のお祝いしようね🥂」


なんて可愛い事を💕言いました。

女子家庭みんなで可愛いお婆ちゃんになるのが夢と言っていました。



2年前、お骨になった三女をお迎えに行く日、私は仕事の寄せ集めバンドで、ちょっとした演奏を頼まれていて、それが終わってから三女のいる区役所に向かいました。


大変な中だったから、大して練習もしなかったのに、不思議なくらい所謂「ゾーンに入った演奏」ができたのを感覚としても覚えています。


演奏が終わると、三女の行方不明からの経緯を全て知っている同僚が涙を流していました。


「気をつけて行ってくるんだよ。気をつけて戻ってくるんだよ。」


こんな時まで仕事してしまう自分に苦笑いしながらも、同僚の気遣いとその涙にすごく救われました。


2年経ってみると、あゝあの時、三女やお空の仲間達が私に演奏させてくれたんだな。と確信することができます。幼い頃から友達だった「音楽」で、三女を見送ることができたのは、一般的な儀式としてのお別れができなかった私にとって、何よりの「お別れの儀式」になったのだと今は思うことができます。


演奏したのは、森山直太朗の「さくら」


リクエストで演奏したのは「勇気100%」


リクエストは、お空からのエールだったんだね。


2年経って、満開のさくらと「さくら」の歌詞を見て、


三女は、やっぱりみんなお見通しだったのかな。


そう思いました。


三女❣️

ママがそちらに行ったらさ、100歳と130歳のお祝いしようね🥂

大好きだよー😭

愛してるよー💖


「さくら」 森山直太朗


僕らはきっと待ってる 君とまた会える日々を

さくら並木の道の上で 手を振り叫ぶよ

どんなに苦しい時も 君は笑っているから

挫けそうになりかけても 頑張れる気がしたよ


霞みゆく景色の中に あの日の唄が聴こえる


さくら さくら 今、咲き誇る

刹那に散りゆく運命と知って

さらば友よ 旅立ちの刻 変わらないその想いを 今


今なら言えるだろうか 偽りのない言葉

輝ける君の未来を願う 本当の言葉


移りゆく街はまるで 僕らを急かすように


さくら さくら ただ舞い落ちる

いつか生まれ変わる瞬間を信じ

泣くな友よ 今惜別の時 飾らないあの笑顔で さあ


さくら さくら いざ舞い上がれ

永遠にさんざめく光を浴びて

さらば友よ またこの場所で会おう

さくら舞い散る道の上で