2年前の明日、3/19にお骨になった三女が帰宅した。
1/5に行方不明届を出して、1/7に亡くなって、2月中旬まで身元がわからないまま警察で安置、その後は身元不詳遺体として同じ区の区役所に託された三女。
3/1、区役所が手配してくれた会社で火葬されていた。2ヶ月近く、家族に会わせてあげたいと警察も区役所も頑張ってくれたのだろう。ドライアイスの費用もかさんでいた筈だけれど、我が家への請求はなかった。
居住地の県警は葬儀屋との癒着で移送費なども過剰に請求しているというのに。。
三女がその様な、当時まだニュースにもなっていない由々しき事実を知っていたとは思えないけれど、唯一の火葬の費用さえも、最期の所持金が充てられていて、親である私は少し足りなかった微々たる金額を後ほど振り込みしただけだった。
どこまでも1人で全部抱えて旅立った。
区役所の方々は本当に親切で、見つかる前に火葬せざるを得なかった事を詫びて下さり、もちろん全く区役所側が謝る様な事はないので、長い間お世話になりましたと深くお礼を伝えて、白い箱になった三女と一緒に帰った。
おかえり。
ひとりぼっちにしていた事が不憫で申し訳なくて、家に帰ってきたんだよ。やっと帰ってきたんだよ。探していたんだよ。探していたんだよ。どこで何やってたの?と毎日語りかけていた。
この2年間、最期の別れをきちんとできなかった経緯もあり、行ったり来たりする感情や悲しみ、虚しさ、焼けるような胸の苦しさを、たくさんの方々に支えてもらってきた。
「こどもをなくす」という、大きな悲しみの中、先を歩かれる方々に繋げて頂き、ここまで来られた事に感謝しながら、2年前は想像もしなかった優しさ、温かさ、心の触れ合いと交流に助けられ、救われている。
先月、宮城の閖上公民館で、柳田邦男さんが講演されると聞いて、日帰りでお邪魔した。夏に御巣鷹にご一緒させて頂いた先輩天使ママのお二人と3人で「閖上の記憶」にもお邪魔した。
閖上地区は、道路も公民館も住宅も、全てが新しく嵩上げされた土地に造られて、海風を感じながら、その「記憶」に触れさせて頂いた。あの日を全て包み込んだその新しい町の中で、短い時間ではあったけれど、懸命に生き抜いて彼方へ行かれた方々に見守られているような、そんな気がした。
「閖上の記憶」代表の丹野祐子さんが、ご子息を津波でなくされ、その悲しみにどの様に向き合っていくのかと悩まれる中で、30数年前の日航機墜落事故で9歳のご子息をなくされた美谷島邦子さんに繋がって、御巣鷹の尾根に登られる様になったお話を聞かせて頂いた。そして、どちらの現場にも長きにわたり取材を通して寄り添い、悲しみで繋がる中で支え合い、立ち上がっていくご遺族と共に歩いてこられた柳田先生のお話は、大きな悲しみをそれぞれの形で表出していく、語っていく事の大切さと、同じ悲しみを持つ方々との「緩い繋がり」の重要性を伝えて下さった。
あゝ、こうして私が様々な方々と繋がり、胸にじわっと広がる温かさを感じること。
これは、やはり三女からのギフトなんだな。
そう思わずには居られない1日だった。
丹野さんのご好意で、東松島の「おのくん」にも繋いで頂いた。
三女のはいていた靴下を🧦お渡しして「おのくん」の作製をお願いして。。。
昨日、「おのくん」に変身して里帰り💖
碇⚓️マークの靴下🧦、こんな風に活かしてくれました♫
可愛い😍💕
頭のてっぺんに、うっすらシミがあって🤭
またそれが愛おしい😭
おかえり♫
2年経って、こんな形で里帰りしてくれた事。
あなたにしてあげられなかった、伝えてあげられなかった事。
親としては、何にもしてやれなかったけど、、
命の大切さを伝える「おのくん」に変身したあなたに、里親として伝えていくね。
あなたの姉妹たちも、おのくんにキュンキュン💕
おのくんの家族を、また増やそうね。
https://socialimagine.wixsite.com/onokun/satooyashinsei
一つ一つ手作りなので、出来上がりまでお時間がかかる事が多いようですが、大事な方の靴下🧦が遺っていたら、持ち込みでお願いすると可愛い「おのくん」になって里帰りしてくれると思います♪
色柄お任せの「おのくん」もまた、楽しみですね。
三女❣️
たくさんのお花が咲いてきて、また無言で小さくなったあなたが、帰ってきたあの頃を思い出すけれど、今年はたくさんの方々との交流に助けられて、大きくおちることなく過ごしています。
きっと、あなたも大忙しなのかな。
たくさんの繋がりをありがとう😊
大好き💕愛してる😘