娘が行方不明になり、探しても探しても見つからず、2ヶ月前に既に亡くなっていました。自死ですよとお骨で帰宅。何が何だかわからないまま、気が付いたら自死遺族という言葉に辿り着いて、そうなったのか。とこのブログに辿り着いた。
親として、人間として自分を責めても娘は帰ってくることなく、泣いても泣いてもどうにもならない。
こんな事ってあるの、、
よくわからないまま、とにかく気持ちや考えをどこかに出さないと遺された家族にも迷惑をかけてしまう。と文章にしてきた。
様々な似た境遇のご家族の方の言葉を読み、涙し、温かいコメントやメッセージを頂いて何とか生きている。きっと亡くなった三女も、
あー、ママ何とかやってるなあ
と少し楽になってくれているかもしれないと思う。
文章を読み返してみると、稚拙なのは初めから承知として、客観的に愛情表現の貧弱さを感じる。これは私の人間そのものなんだろう。
母性本能はもちろんあるけれど、どちらかと言えば男性的な思考だし、自閉的な行動特性もあるし、独立心が強いといえば人聞きが良いけれど、ただの共感力のない人。
もちろん悲しいし、悔しいし、自分も責めるしやるせない。でも食欲は落ちてもご飯をちゃんと3食食べて、眠れなくて眠剤使ったのは2〜3日程度。ほぼ毎日泣くけど仕事にも行く。仕事中は別人の様にほとんど悲しくもならない。
側から見たら薄情な母だと思う。
昔からこんなに図太い訳ではなかった。生きているうちに、あまりにも様々な事があって、こんな薄情で強情な人間になったのだろうか。三女は独特の美意識のある子だったので、共感性の低すぎる母親に、こんなババアになるくらいなら、美しいうちに召されたい。と思ったかもしれない。あなたの理想のママでなくて本当にごめんね。
辛いことは沢山あるけれど、気持ちを切り替える。まず、食べて寝る事が大事。どんなに悲しくても、必ず朝が来る。選ぶことは自由。でも選んだ末の結果は文句を言わない。嫌だったら、次に何かを選ぶ時にきちんと考えること。
とにかく生きること。
そう教えてきたつもりだった。
でも、死を選んでしまう人たちの辛さはよくわかる。誰も知らないけれど、かつて私も選ぼうとした事があったし、若い頃から芸術を学んできてクリエイティブにセンシティブに苦しんで、美しく美しく生きた人々の選んだ死を決して軽蔑したりすることはなかったから。
でも、あなたに生きててほしかった。
その想いは消えることはないけれど、あの子もいつまでもそう言われたら辛いだろう。
ふっと、子供たちそれぞれが生まれた時に、あまりに可愛くて
天からお借りしているんだ。
と思ったのを思い出す。
三女は、母親のあまりの共感性のなさに、お勤めご苦労様。天に返ってきて良いですよ。と言われたのかもなあ。17年と10ヶ月。本当に可愛くて楽しかった。ありがとう。天にお返ししなきゃね。
そして、ママの共感性は大して向上しないけれど、あなたたちに教えてきた
とにかく生きること。
を大事にしてこれからも生きていきます。薄情な母だと思われてもね。やはり大事だから。
あとね、伝えてきたつもりだったけど大好きだからね。愛してくれてありがとうって書き残してくれたけど、ママのことも沢山愛してくれてありがとうね。