経験…というのは自慢できるものではない。
経験…が物事を語るうえでの条件ではない。

ここでの経験は失敗談のこと。
成功体験は好きなだけ自慢すればいい。

私の母はよく「働いたこともないくせに…」「子育てしたこともないくせに…」などと言う親だった。

働いたことがなければ、子育てしたことがなければ語る資格はないのか?

であれば、大半のことに人は口を噤まねばならない。何故なら未経験だからだ。

殺人、強盗、痴漢、ネグレクトなど犯罪。
スポーツや学問も。
政治も。
未経験が大半だろう。

また同じ子育てでもAくん、Bちゃんを育てることは果たして同じ経験だろうか?

ならば子育てを語る資格はないことになる。
私の子育てについて母は語れるが。

マイナスの経験は無能の証明で恥です。
雪国で走れば滑ることは誰でも、未経験でも想像がつき、対策ができます。

想像が出来れば回避ができる。
つまり未経験でも語る資格がある。

経験でしか物を語れない人は想像力がない。

私の場合は「予想がついて、その予想が筋が通っているなら事実であることを検証する気がない」という思想なのでますます経験は軽んじてます。

経験は経験で得難いものがあるとは思いますが。
脳内でのシミュレーションも経験ですよね。
目で見て、手で触れ、耳で聞いたものだけが経験ではない。
というか物理的に確かに物が、現象があることは重要じゃないと思うのですよね。