よく言われるセリフだと思う。
それくらいの気概でやれという意味なのだろうがそんなことできる人はそうそういない。

あと、死ぬ気でやらなくても死にはしなくてものたうちまわりたくなるぐらい具合が悪くなることはあるから死ぬ気でなんてやらない方がいい。
死ぬ気なくても人はぽっくり逝くのだから、死ぬ気でなんかやったら本当に死んじゃう。


死にたくないが死ぬ気でやるから限界のその先へ行けるみたいな効果を狙ってるのだろう。
しかし死にたい奴は無になって構わない、無になりたい奴だから、そもそも頑張る気力がない。
大多数の人間は受験に落ちようが、会社クビになろうが、彼女に振られようが、そう簡単には死なない。ペラペラ宣う奴に限って失敗した後も次があるとヘラヘラしてる。
だって死ぬ気なんかはなからないから。
私を見たら分かるだろう。
失敗の連続だが未だ死にたくなったことはない。

死ぬ気で頑張るとか宣言した何割が遺書や死に方、迷惑をかけないよう、苦しまなくて済むよう自死の下準備を済ませているのか?
普通はいない。某ブログで死ぬつもりだった人のブログを見て本当に死ぬつもりなら準備するもんだろうなと思う。

死ぬ気でやらずとも集中はできるし、高いパフォーマンスは発揮できる。呼吸するように努力する。そのために雑音は可能な限り排除したい。
社会から自分を切り離す。
そういう意味では社会的に死ねというのは間違いではない。
私の場合は社会から隔離された方が静かで幸せだったまである。
社会から切り離され、没頭しろという意味でなら死ぬ気でやるのもありだが。
肉体、精神の限界を超えて擦り切れるまで頑張れという意味なら。
そんなこと普通はできない。
口だけだからやめろと言いたい。

そう言って、死ぬ気でやってる気になって自分に酔ってる奴が多い。いやいや、全然それじゃ死ねないよ?って。

口にするだけで死ぬ気で頑張ってる気がしてしまうのだろう。素晴らしい学習計画立てて自己満足に入ってるのと同じ。勘違いするから死ぬ気でやるなんて考えてることはデメリットでしかない。


何かをしようと思ったときノイズを徹底的に排除してそれでもやりたくないなら、やりたくないことなんだからやめたらいいと思う。

このご時世、やらなきゃいけないことなんてほぼない。

何かをするときに理由とか意義とか、価値、メリット、デメリット、なんて不純物でしかなくて、考えてる時点で足かせでしかない。

考えれば考えるほど、動きにくくなるのだから黙々とやり、邪魔なら排除を繰り返す方がいいと失敗しまくった私は思うなぁと。

スタバでコーヒー飲みながらお隣の会話をぼんやりと聞いてました。