ご冥福をお祈りします。

ネット上だけの関わりだったので悲しい、遣る瀬無い、悔やまれるというより実感が全く湧かないというのが今の心情です。

薄情かもしれませんが本当に実感が湧きません。明日には新しい記事が普通に出るのでは?みたいな気がしてしまいます。

大学で奈々さんと色々と議論したりする事を楽しみの1つにしていただけに残念に思います。

悲しくはありますが、前に進みます。
1日考えてもやはり私には何も出来なかった。

死は残される者にとって悲しいだけのものではありますが彼女にとって救いであった事、これから笑顔でいられる事を切に願うばかりです。

人間の価値、周囲からの評価は死後にわかる、死者に対して人は正直だと祖父は言っていましたがアメブロを眺めていると影響力の大きさ、人間性、奈々さんの偉大さを感じました。

他のブロガーさんの記事で内情は多少把握していますが当事者ではありませんし、信憑性を自力で調べることも出来ませんので批判も、擁護も控えます。

少し、今回の内情を踏まえて関係があるようでない話をしましす。

読者の皆様にも憧れの人、尊敬する人が1人ぐらいは存在していると思います。唯我独尊の人もいるかもしれませんが。

憧れ、尊敬する理由は様々ですが多くはその人に力があるから。自分より頭のいい人、優れた人には従いたいと思います。

そこに、その人の理想があるから眺めていたい。自分の方へ向かせて一部でも享受したい。
何か得られるかもしれない。

1番分かりやすいのはアイドルだったり、スポーツ選手のファンたちですね。
サインなんてただのインクと紙ですが喜びを感じる、握手会なんてものに多額を投じる。

何かを自分のものにできるというのは幻想です。アイドルやスポーツ選手はまだいいのです。

しかしです。もし、頭の優れた人間、団体に憧れを抱く場合には細心の注意を払いなさいと私は祖父に教えられています。ここで言う頭がいいはペーパーテストだけでなく様々な頭いいです。

この世界における関係性は基本的にギブアンドテイクです。そうじゃない!と思いつつもほとんどギブアンドテイクが成り立っています。

ギブアンドテイクは対等な知性の上に成立しています。相手が自分より優れている場合、搾取されている可能性があります。気づいたら御されているかもしれません。


深淵を覗く時、深淵もまた私たちを覗いている。
相手もまた、何かをあなたから吸い上げ自分のものにするつもりなのです。

憧れは理解から最も遠い感情である。
某漫画のセリフです。真偽はおいといて一理はあると思っています。

憧れは恋に似ている。その段階に至っている時点で正確な判断、相手を見極められていない。

もし、利害の関わる作業を一緒に行うなら優秀であるが尊敬、憧れておらず自分で御しきれる、裏をかかれても横綱相撲で押し切れる相手を見極めなさいと祖父からはよく言われていました。
嫌いなところもあるが能力は評価している、少し気にくわない、同族嫌悪のライバルぐらいの方がいい仕事になると。

パワーは畏怖という磁力だと。
自分の器で計れない理解を超えた力に人は恐怖する。
神を愛する人は神を恐れた人。
パワーが自分に向くのを恐れて、その力の下へ集まるのだと。

これは事あるごとに言われていました。
私以外の身内にも口を酸っぱくして。
親戚が研究室を選ぶ場合にも、優秀だが信用、尊敬できない、自分の力でいざとなれば屈服させられる、逃げ出せる研究室を選べ。
歴史の長い大企業は避けろ、あそこには人ではない魔物がいる。

また、魔物に魅入られたとき女はすぐ逃げ出せとも言っていましたね。男は原始時代から自然界の生存競争に勝利する、生き残るため嫌なこと、理不尽、どう見てもおかしい、直視すると辛いことに蓋をできるようバカになれるようプログラムされている、ノルマ達成のマシンになれる、思考を放棄できる。その究極の結果が海外ではビックリの時間の正確さ、サービス、ホスピタリティの充実なんだと。女は感受性の生き物、強い心で直視して思考してしまう。これはおかしい、普通じゃない、周りの男たちは蓋をして忘れ去っている。空気を作り出している。だから助けようとも思わない。
男社会の日本では考えないことで成り立つ、汚物に蓋をして忘れ去れなきゃ殺されてしまう。その結果が過労死なのだか女は過労死の前にやられる。だからいざとなれば逃げて家に帰ってこいと母に常々言っていました。




このブログの影響なぞカスみたいなものですが読んだ方が少しでも思考してくれるといいな。
おかしいと思うなら勇気ある撤退をしてください。
仕事を投げ出すなんてと思うかもしれませんが辛い仕事をおかしいと疑問を持ちながら苦しむ必要はありません。

男は蓋をするつもりならオンオフをはっきりするべきです。蓋をして命を削って良いものが出来る場合があることも否定できません。
クリエイターのような終わりのないもの求道型の仕事は特にそう思います。
やらなきゃいけない時もあると思います。
ただ、削る価値があるかは自問すべきでしょう。

失礼します。