関西学院大学の被害者の方は腰椎を痛めたみたいですが後遺症は残らないようで良かったです。

加害者の大学生については立場を考えれば精神的に追い詰められており、情状酌量の余地ありです。でも社会的、法的制裁とまでは言わずともそれ相応の罰則は受け入れるべきでしょうね。
20歳過ぎた人間が、学生とはいえ自ら意思決定を下し怪我をさせたわけですから。
ただ、彼の先の人生が狂ってしまう。修正が効かなくなってしまう事だけはない様、本来なら大学側が保護すべきだと思っているのですが…。

今件で最も責任を問われるべきは監督、コーチそして、失望させてくれたのは日大です。
日大の対応は最低でしたね。
他の大学ならどの様な対応を取るのか是非聴いてみたいです。関西学院大学さんとか立場逆転したらどんな対応を取るのでしょう?
加害者大学生が記者会見をすることがまず異常です。日大は学生を守る事ができず、事態を鎮めるための生贄に捧げたばかりか、身内には甘い教育機関としては最低でしょう。
私にはトカゲの尻尾にしか見えませんでした。
また、加害者の発言から監督、コーチは意味の食い違いなどなく、文字通り潰せと命じたはずです。最早、何を言っても覆らないでしょう。
普段からプレー中に、相手を止めろと言う意味で潰せを使っていたのなら、食い違わないですよ。

監督は無期限の謹慎だそうですが、苦笑してしまいますね。無期限の謹慎ほど近年、罪の意識が感じられない罰はないでしょう。
事あるごとに無期限の謹慎、自粛を発表しますが要はほとぼり冷めるまで逃げると言っているのですよね?暗に。

人間の価値をはかるにはただ努力させるだけではダメだ。力を与えてみるといい、法や倫理を超えて自由を手に入れたとき、その人間の魂が見える事がある。

この監督は学校、さらには部活という閉鎖的な空間の中で力を手に入れ、結果として卑劣で汚らしいゲスな魂が露呈したというわけですね。

これは、私個人の見解ですが社会を見渡したとき様々な組織があり、その中に更に小さな部署があり、その中に更に小さなグループがある。
その各々の中にも外にも上下関係が成立しています。それは親と子、兄姉と妹弟、教師と生徒、監督と選手、先輩と後輩、上司と部下、その上司と社長、その会社と親会社。
上下関係における上位者は崇め奉られる神、仏なのではなく指揮官なのだと思います。
指揮官はグループの短期、中期、長期的な方向性をグループ、その個々人、周囲の状況を観察、議論しながら最終決定する人です。
高い能力が必要なのも、結果として高い報酬を受けるのも分かりますが組織におけるポジションの1つに過ぎません。部下、選手なくしてプレーは出来ないのです。
故に、報酬や能力がいかに高かろうとも、我は神様仏様である!崇め奉れ!俺の命令は絶対だ!とはならない。

よく、目上の者を敬え!と言われますが私は心の底からこの言葉が嫌いです。崇拝や敬愛、尊敬は才能や容姿の様な先天的なものや年齢の様なものに左右されるものでなく、行動の果てにある結果、磨き上げられた技術、人間性を示した時に周囲の人間から評されるものであって自分で敬わせてはダメでしょう。
例えばボランティアをして俺は優しい!感謝しろ!泣いて喜べ!な?おい!喜べよ!と強要している様にしか聞こえない。

なら、監督は優しく優しく接すればいいのか?と言われればそうとも言えないのだと思う。
人間だけに限らず、快適で自分に優しすぎる環境にいる様では、さながら無菌室にいるかの様に外的要因に免疫がなく、弱くなってしまう。
適度な、時には少しキツめのストレス、摩擦は人間を強くしてくれるのだと思う。
故に、指導者、指揮官というのは能力だけでなく、人間性が優れてなくてはならない塩梅が難しい立場だとは常々思う。

今回の件だけでなく、学校や会社といったある種の閉鎖的な空間における権力の暴走に歯止めをかけるのはやはり技術の力なのだと思う。

近年、パワハラやセクハラにはじまり今まで黙認されてきた、泣き寝入りしてきた犯罪が次々に出てきたのは犯罪率の上昇ではなく、技術の進歩による情報の流通が活発化で自身の置かれている立場を知り、どうすべきか?の情報を手にし易くなったからだろう。
次は技術によって犯罪に歯止めをかける必要がある。

学校や会社については簡単な気もしますよね。
校内、社内を死角なくカメラとレコーダーで監視すればいい。これだけでパワハラ、セクハラもゼロでしょう。もちろんデータは外部が管理するのですよ。改竄されてしまいますから。
生徒への指導、ミーティング、授業は監視カメラとボイスレコーダーの完備された指導室、教室、部室、会議室で行う事、それ以外での指導は拒否しても構わないとか。
データのチェックを人工知能がこなせればとか思いますけどね。それが一番な気もします。

これが極端に行き過ぎると、SFにありがちな全世界が人工知能に監視された世界とかになるのでしょうね。健全で優しいけれどどこか歪な社会。
ただ本当に使えるAIを実現する次世代のハードウエアは、明らかに現在のハードウエアの延長線上にはないのです。計算の1ステップごとに電気を消費する現在のハードウエアでは、発熱やエネルギー消費の観点から言って、このまま並列化・巨大化していくと地球環境を破壊しAIどころではありません。このように、AIのための新たなハードウエアが求められているんですよね。強相関電子系にはスキルミオンという渦状の磁気構造体が存在し、それを用いた超低消費エネルギーエレクトロニクスや1980年頃リチャード・ファインマンにより最もエネルギー消費の小さいコンピューターとして提案された量子コンピューターの研究、量子ドット中の電子スピンからなる量子ビット、超伝導量子ビット、光子による量子ビットなど、有望な量子系での量子コンピューター研究さらに、2次元電子系を用いて、誤り耐性のあるトポロジカル量子コンピューティングに必須の特殊な分数量子ホール状態を生成、ハード分野はまだまだ未開拓の地がありウキウキします!

まあ、それは置いといて世間のニュースを見ていてなんとも下らない、何故こんな事で人が亡くなったり、苦しんだりしなければならないのか?何故、自分と周りが幸せならそれでいいだろーに勢い余って全人類にまで信仰や思想を押し付けるのか?マスコミは何故バレバレの偏向報道をするのか?常々思う。
周りの人間を観察していると周りの人間を気にしている様で他人なんて気にもしていない。要するに自分の都合だけを考えてその結果相手に押し付けている。

大人たちは辛くても社会で生きていくためには、人間関係を円滑にするためには耐えなければならないと教えるわけだが。
それは、ゲーム理論における協力して大物を狙う。人間は協力しなくては生きていけないから。
でも、死にたいほど苦しんだり、相手が間違っているのに自分の正しさを捻じ曲げて屈服するなんて間違っている。
技術は、人工知能は手足の延長線上という評論を読んだことがあるが1秒でも早く、人間が一人でも技術の補助で生きていける様になり、嫌いな人間や思想、信仰をシャットアウトして好きな事、好きな人と好きなように生きていける社会、ではなく社会という共同体から独立も加入も容易になることを切に願う。


ここまで正論を書き連ねてきたわけだがこれが本心か?と聞かれればNOだなーと思う。
正論を書くべき場面だから書いたと言うのが妥当だ。逆の立場で書けと言われても複数の考えがポロポロ浮かぶ。
何というか自分の立ち位置というのがよく分からない。ここは怒る場面か?とか泣く場面か?とか知識としては親から幼少期に躾られたから理解してフリはできるのだけどその自分の体をを俯瞰してる自分がいるような錯覚がある。
あまり、詳しく書くと性格というか人間性の悪さが露呈してしまうのだが。常々、俺っておかしいのか?って疑問はつきまとってるんですよね。
周りの友人、親、親戚や大人たちからも常識がない、おかしい、何故そんな考えかたをするって。

オーストラリア国立大の教授とお話しした際にはより新しい情報で、古い情報を書き換える。計算をして、処理をして、格納して、参照して、消去して、結局は、答を一つに規定する。この単純化を伴う統合を多くの人は行うわけだけど君の場合人格だけじゃない、すべての概念、価値観が混ざっていないのではないだろうか?人は普通はこれらの両極の概念の狭間にあって、自分の位置を探そうとします。自分の居場所は一つだと信じ、中庸を求め、妥協する。けど君は両極に同時に存在することが可能なのでは?君は単純化が苦手なのかもしれないが問題を作ること、何が問題なのか発見することは得意なのではないだろうか?人間の能力とは現象を把握すること、そして、それをモデル化すること。現象と現象の関係を結ぶこと。それはつまり、問題を組み立てる、何が問題なのかを明らかにすること。
方程式構築しながらも答えを1つに規定しない、そもそもその計算式は答えが複雑で1つではないが多くの人は単純化、統合することで規定、制限するがそれをしないというのは一つの優れた才能だと思うよという話をしたりしてたんですが難しいので分かりそうでよく分かりませんが初めて自身の精神面、思考を肯定的に捉えていただけた気がします。