多様性、個性や自立、自制、自分らしさを唱えながら生徒をよくわからない理由で締め上げる。日本の鎖国的、島国的因習の最たる環境が学校ではないでしょうか?

グローバル、グローバル騒ぐわりに全然グローバルじゃない。昔ながらの黒=誠実てイメージは分かるけど…。したら欧米は不誠実なのか?って話なわけで。海外なんか色とりどりだろ!と苦笑してしまう。あくまで鎖国的な空気が抜けない。日本人だけだから、みたいなスタンス。ならグローバル言わないでくれよ。笑

校則で縛っても、校外でフリーダムじゃ意味ないわけで。自立、自制促すなら普段は好きに着飾っていいが、式典をはじめ格式張った場や目上の人の前ではシンプルでスマートな格好にしよう!とか出来ないのかなぁ。TPOも理解できない高校生は終わってますが。教員や周りの大人も常にビシッと決めてるわけじゃないだろうし。そもそも勉強に励む姿勢とか堅っ苦しいことベラベラ述べるから勉強=苦行みたいな構図出来上がるんだよ。校則って何のために存在するか分からないものがほんとに多い。

フランス人が驚く、日本の大学の日常風景3つ 

って東洋経済の記事に記載されていました。
日本は教師と生徒の距離感が近すぎる。
フランスでは、教師と学生が気軽に話をする雰囲気はない。フランスの学校では、教師は権威ある存在とみなされている。幼稚園や小学校でも、子どもを厳しく指導する先生が、保護者の評判がよかったりする。授業中にふまじめな態度を取った生徒は、容赦なく教室の外に出される。罰として居残り勉強を命じられることもある。
この例に続き、そもそも大人と子供の距離感が近い事にも触れていた。
学校教員や親は子供にとって威厳のある存在であるべきだと思う。親が子供を愛するとともに、愛されたいために過保護、甘くなり、いきすぎてナメられているのが今の大半の日本の大人だ。
正直、親が子供を愛さなければならない理由はあるが子供が親を愛さなければならない理由はない、愛されるより、畏れられる親が立派だなと思う。ここで大事なのは恐れではなく畏れなこと。
最近の子供は大人への敬意が足りないとは私も耳タコだが威厳も学も、権威、知性もない大人に誰が畏れ敬うのか教えていただきたい。
天皇陛下や海外の皇族の権威の前では誰もが、強豪校の部活の顧問、生活指導の鬼教師の威厳の前では偉そうな体育会系も、
世界に認められた偉大な知性、実力の前では私だって例え怠くて、緩い格好したくても襟元正して、背筋を伸ばすのですから。
校則なんぞなくてもTPOに応じた対応は出来るはず、一部を除いて。生徒が真面目に授業受けない、身嗜みが、生活態度が乱れて大人に映るなら大人である私たちの程度が低く、ナメられてる証拠なのだから責任感じ、自己研鑽に励んだ方がいい。そもそも勉強も頑張らず大学にとりあえず入り、さしたる理由もなく教師になり、結果も出してもいない人間に礼儀だの世間体だの、あげく勉強頑張れよとか言われても…である。

そもそも皇族や優秀な学者や経営者、社会的成功者の前に地毛で茶色い人が立ったとき彼らは不敬だ!罰を与える!なんて言うのでしょうか?自称進学校に限ってくだらない事にこだわる割りに威厳もヘッタクレもない無能教師がギャーギャー騒いでいたりします。そして中途半端なやつに限って生徒に痴漢したりするんですよ。大人と子供の線引きも出来ず、物事の善悪も線引き出来ず、教育と偏見、差別、束縛、同化の線引きも出来ない。