すごくしっくりくる記事でした。
医学部志望の妹や後輩にも読ませてやろうと思います。
まさに、ですね。
英語が、物理学が、高校時代得意、好きで専攻した人はいるが医学が好きで医学部に入る人はおそらくいないし、別の理由がある筈なんですよね。

安定してほぼ確実に高収入ってのは一見魅力ですが記事にあるようにプレッシャーや努力量を考えると割に合わないのですよね。
私自身、医学部を狙ったほうが収入や地位の面では確実性が高いとは思いますが患者に収入の枠を超えたホスピタリティは持ち合わせていないなぁとは思います。私は基本的に人生をより楽しく、有意義に、他人とは違う風に送るにはどうしたらいいか?を常に考えているわけです。やり甲斐は大事ですが実利を常に追求する、功利主義的?いわゆる俗物の部類ですからね。

ただ、周りの医学部生を見ていても記事の様な高い意識を持って勉学に励めている人はいるのか疑問を通り越して理想論に過ぎない様にも感じる。
彼らの多くはやはり、難しい大学だったから受験し、ステータス目当てであるし、大学生活をエンジョイしなくてはと遊び呆け、テスト直前機に持ち前の勉強ポテンシャルを発揮し、留年を回避している印象を受ける人が多い。

自分の勉強不足、知識不足で人が死んでも全力を尽くしたが無理でした!と平気で言えてしまうのだろーなと。

リーガルハイってドラマの一場面

医は仁術、確かにその点から言えば、赤目義二は最低の医者かもしれませんね。権威にあぐらをかき、不遜で横暴で、スタッフと軋轢が絶えず、いい年をして若い愛人を沢山作った。患者や遺族の気持ちなど意に介さず、死んだらさっさと追い出し、患者の名前すらちゃんと覚えない。最低だ。


最後は病院から放逐され、家族からも見放され、広い豪邸でたった一人、助けてくれる者もなく倒れていた。正に哀れな晩年です罰が当たったんでしょうか。
ですが、彼の書斎は膨大な資料で足の踏み場もないほどでした。病院を追われたあとも、彼はその山に埋もれて、研究に没頭していました。その姿を思い浮かべるとき、私には彼がこう言っているように思える、「医は科学である」と。

難病治療という科学の発展こそが彼にとっては全てだった。そのために金を集め、実績を上げ、権力を欲した。科学に必要なものはデータです、人生でも名前でもない。医学を前に進めるために必要なことは、遺族と一緒に泣くことではない、直ちに次の患者の治療にあたることだ。彼がこんなことを言っていた、「病院が潰れようと、家族がいじめに遭おうと、そんなことはどうでもいいことだ」と。そのあとにこう続けたかったのではないでしょうか、「医学の進歩に比べれば」。血も涙もとっくに捨てたんだ。
赤目義二はきわめて優れた医師だった。私はそう思います。

進歩と引き替えに犠牲を要求してきたのが科学だ。

(九條)
じゃあ犠牲者はどうなる!

(古美門)
気の毒だ。

(九條)
それで済ますのか?

(古美門)
済ますしかない。

(九條)
残された人間の悲しみはどうなる!彼女がどんな思いで生きてきたと思っている!この先どんな思いで!

(古美門)
死んだからこそ意味があるんだよ。

なんだと?

(古美門)
死は希望だ。

(九條)
ふざけるな!

(古美門)
その死の一つ一つが医療を進歩させてきた。現代の医療は、その死屍累累の屍の上に成り立っている。誰しも医学の進歩のためには犠牲があっても仕方がないと思っているはずだ、その恩恵を受けたいからね。しかし、その犠牲が自分や家族であると分かった途端にこう言うんだ、「話が違う!」と。なんで自分がこんな目に遭わなければいけないんだ!誰のせいだ!誰が悪いんだ!誰をつるし上げればいいんだ!
教えてやるよ、訴えたいなら科学を訴えろ!あなたのご主人を救えなかったのは現代の科学だ!

(九條)
そんなこと出来るわけないだろう!

(古美門)
だったらせめて狂気の世界で戦い続ける者たちの邪魔をするな!
もちろん世間には、本当に悪質な医療過誤がある。それは断じて断罪されなければならない。しかしこと、この裁判に関しては、医療過誤ではない。
余談ながら、おそらく赤目医師の遺体は今頃、研究機関に運び込まれ、バラバラに切り刻まれていることでしょう。彼は自分の死後、肉体の全てを臓器移植と研究検体に提供する契約をしていたからです。
科学は、死に意味があるんです。死こそ、希望です。


ふざけたドラマでしたがなかなか面白くたまーに考えさせられるんですよね。このドラマ。
医師の道は修羅の道って感じがします。
厨二っぽくてカッコいいですが歩みたくはないですね。


よく学び、よく学び。
医学部の定員を増やすのは必要ですが卒業難易度は二留、三留当たり前、ぐらいに引き上げ、国家試験は一回のみで合格率100%が当たり前、なぐらいの努力と責任を要求してもいいのかもしれませんね。