五月晴れの空の下、庭先の花の手入れをしながら、先週亡くなった星野富弘さんのことを想っていました。
口にくわえた筆で花の絵を描き続けた半世紀、その詩画はわたしをはじめ、どれだけ多くの人を慰め、力づけたことでしょう。
5ヶ月ほど前のブログで、星野さんの名言をいくつか紹介しましたが、こんな言葉もあります。
「辛いという字がある。もう少しで、幸せになれそうな字である」
そして、辛いことは幸せという花のつぼみであるとしています。
手足が不自由だという辛さを乗り越え、自らの力で幸せの花を咲かせられたんですね。
不自由からの制約が、実はとても良いもので、ハンデをメリットと考えたそうです。
「動ける人が動かないでいるには忍耐が必要だ。私のように動けないものが動けないでいるのに忍耐など必要だろうか…そう気づいた時 棘のはえた縄がフッと解けたような気がした」
「不自由と不幸はまったくべつものだった」という星野さんには敬意しかありません。
その境地に達するのは難しいですが、まずは辛いことにあった時、落ち込み続けるのではなく、幸せの前触れかもしれないと考えてみることにします。
星野さんの残した言葉を忘れないことで、その志しが生き続けていくと思います。
いつの日にか「いのちより大切なもの」を見つけた星野さんの笑顔に近づけますように。