「映画や、音楽…本を読むことは、自分の世界に『手すり』をつけていることかもしれません」
(益田ミリ マンガ家)
この言葉は、今のわたしにストンときました。
少し前に足を痛めて初めて、以前は気にも留めていなかった階段やお風呂の手すりのありがたみを痛感しているからです。
日々の暮らしも、何かあって気持ちがふさいだときに、支えとなるものがあればいいですよね。
「自分にとって何が手すりになるかは、その時になってみないと分からない。さまざまな要因で、最適な助けは変わり続ける。普段からさまざまなものに触れておくことで、いつかの心の支えは増えてゆく」
普段のわたしの支えとなっているものは、本や新聞などで見つけた言葉や、美しい景色、人の優しい気づかいなどです。
辛いときに、それららは確かに助けになってくれています。
でも「きょうの言葉」には「優しい物語だけではなく、陰惨で救いのない物語も、立派な手すりとなる…つらい目にあったとき、類似した状況の作品を思い出して慰めになることもある」とありました。
そうした物語の映画や本は遠ざけていましたが、そういえば、音楽のプレイリストには楽しい曲より、悲しい曲の方が多いです。
それは、痛みを分け持ってくれるからかもしれません。
いわば「共に泣いて」支えてくれる友のようです。
これからも視野を広くして、さまざまな手すりを作っていこうと思いました。
写真は、初夏の風に揺れる、刈り取り間近の麦畑。
朝の仕事を終えての帰り道で、頑張ったねと迎えてくれる優しい「手すり」です。