「封を切ったならこぼれる日射し あなたは相変わらず 手紙にまで笑顔同封」

             さだまさし

こんな便りを書きたくて、このブログタイトルに「笑顔同封」の言葉を入れていましたが、表現盗作になるかもと思って取り消しました。

で、わたしの住む南国市からということで「南の国から」に変えました。

 

この「笑顔同封」という曲は、まだ小娘だったわたしが大好きだったグレープの一曲です。

あの頃から半世紀、さださんはずっとわたしの敬愛する詩の師です。

ですからやはり、その歌詞を拝借することはおこがましいことでした…

 

当時からわたしは遠方の友に手紙を書くのが好きでした。

即、反応が返ってくるメールやLINEのような便利さはないものの、相手を思いながらゆっくり言葉をさがし、ときには書き直したりする時間も貴重だったように思います。

それは自分の気持ちを見つめ直す時間でもありました。

 

作家の重松清さんが、いい味わいの言葉が死語になりつつある世の流れについて、こんなことを書かれていました。

 

「手紙を書く」であれば「綴る」「したためる」という情緒たっぷりの言い換えが可能だが「メールを打つ」になると、どうにも冷たい雰囲気がしてしまう。…フリック入力の「指を滑らせて予測変換の候補から選ぶ」に至っては、いったいどうやって小説に馴染む言葉で表現すればいいのだろう。

 

小説家ならではの苦渋が伺えますね。

 

美しい日本語を大切にする重松さんやさださんには、これからも素晴らしい作品を書き続けてほしいと願います。

 

わたしも秋の夜長、たまにはあの頃のように「ペンを執って」みたいなと思います…がやっぱり手軽なメールに負けてしまいそうです…