「恋愛観は時代と共に変化するが、愛については変わらないものがある」という、先回の記事が、変わらないものとしていたのはこのことでした。

 

福永武彦さん(作家)は1956年のエッセーでこう書かれていました。

「愛することは危険な冒険であり、賭けであり、傷が深くなることを恐れるわけにはいかない」

 

もう70年近く前に書かれた言葉ですが、確かにどんな世代でも共感できると思います。

 

恋愛観が変化し、軽くなったとはいえ、告白する時は、断られるかもしれないという恐れを克服する勇気が要りますよね。

また、それを受け入れられなかったなら、この人を傷つけるかもしれないという恐れと闘います。

そして、愛しあう二人となったとしても、傷つけあうことになる出来事は生じます。

 

福永さんの更なる言葉で、愛の厳しさを痛感しました。

 

「愛は多くの場合、一種の幻覚であるが、孤独は紛れもない人間の現実であり、愛は成功すると失敗するに拘らず、この孤独を靭くするものだ」

 

「愛が孤独を靭くする」…この柔らかさやしなやかさが含まれる「靭く」という言葉が使われていることに、愛の奥深さを感じます。

 

ん〜難しい!

愛は生半可な気持で語れるものではありませんね。

でも「幻覚」のような不確かな消え去るものにはしたくありません。

 

若者文化が軽薄化したといわれる80年代、大都会に住む若者の一人だったわたしは『檸檬』のこの歌詞が哀しかった。

「ねぇほら ここにもそこにもかって 使い捨てられた愛が落ちてる」

 

「愛」という言葉は使い捨てられるほどに軽くなったとしても、時代の波に消されたりしない「恐れを超える本物の愛」は生き続けていると信じたいと思います。