「謝れない人」の存在

「なかなか謝れない」という悩みを検索すると、原因として

 

”プライドや恥ずかしさ:「自分の非を認めることは屈辱的」「恥ずかしい」という気持ちから、謝罪が難しくなる。

完璧主義:自分の非を認めることができず、謝るよりも完璧に振る舞うことに意識が向いてしまう。
自尊心の保護:自分の失敗を認めることが自尊心を傷つけると感じ、自分を守るために謝ることを避ける。

発達特性:発達障害(例: アスペルガー症候群)の特性から、自分の行動が他人に与える影響の理解、状況判断、感情のコントロールが苦手な場合がある。"

 

というような項目が出てきます。

 

「職場で自分が悪いのに謝らない人がいる」というような声も多く

謝れないことは社会で生きる上では足かせになることなのでしょう。

 

一方で

 

”感情のコントロール:怒りや悲しみなどの強い感情をうまくコントロールできず、謝ることが難しくなる。
罪悪感や恐怖:過去に強く叱責された経験などから、謝罪が引き起こす罪悪感や恐怖に耐えられず、謝る状況を本能的に回避しようとする。
過去の経験:幼い頃から謝罪後に愛情を得る経験が少ないと、謝罪の効用を理解できず、「謝ったら相手にされない」というような誤解を持つことがある。

 

相手への不信感:「謝ったら相手の支配下に置かれる」「相手に言われるがままになる」というような勘違いから、謝ることに強い抵抗を感じる場合がある。
「謝罪」のネガティブなイメージ:過去に謝罪した後に辛い思いをした経験があると、「謝罪」という行動に対してネガティブなイメージを持ちやすくなる。”

 

というように謝罪に対してなんらかのトラウマを抱えていて

謝ることができないという背景を持っている人もいるという記述もあります。

 

謝ることができない私の例

私も謝ることができません。

 

夫を怒らせてしまった時…チームが私のせいで負けてしまった時…

思い入れの強い相手ほど、謝ることがこわいと思ってしまう。

「ごめんなさい」を口に出せば絶対に涙が出てしまう…

 

周りの人たちは結構よく「ごめーん」「私のせいだわ~ごめんね~」という言葉を口にしているのですが

私はそれすら口をつぐんでしまって何も言葉に発することができなくなってしまいます。

 

端から見れば「自分の否を認めようとしない」「他人に責任を押し付けている」という風にも見えるんだろうなと思うので

すぐに口にできたら良いのにと思うのですが

緘黙や解離が起きているのか、何も言葉にすることが出来なくなってしまいます。

 

どうして私はそんな状況に陥ってしまうのだろうと考えてみると

思い当たることが見えてきました。

 

親から受けたトラウマ

すぐに「今のは私が悪い、ごめんね」と言える人にとっての「ごめん」は

「ごめん」が最終手段であって、ある種、愛を求めているような言葉なのだそうです。

 

”幼い頃から謝罪後に愛情を得る経験が少ない”という記述もありましたが

逆に考えると普通は、謝罪後に愛情を得るということであり

 

「私が悪いからどうぞ責めてください」と断定しているわけでもなく

「悪い行動を直すから見捨てないで」と懇願しているわけでもなく

ただ単に、…ある意味、特に意味を持っていない「ごめん」ということなのでしょう。

 

そう、私は「ごめんなさい」を言った後は上記のように

「責められる」「見捨てられる」ものなのだと思って生きてきました。

 

冒頭にも”過去に強く叱責された経験などから、謝罪が引き起こす罪悪感や恐怖に耐えられず、謝る状況を本能的に回避しようとする。””「謝ったら相手の支配下に置かれる」「相手に言われるがままになる」というような勘違いから、謝ることに強い抵抗を感じる場合がある。”という記述がありましたが

まさにそのようなことを経験してきたので

この記述を目にして「やっぱりか」と思うことができました。

 

幼少期~中学生の記憶で今でもフラッシュバックすることとしては

「謝るってことは自分が悪いってわかってるってことだよね?じゃあなんでしたの?」

「謝るんだったらちゃんとやれや」

「まずはごめんなさいだよね」

というような言葉です。

 

花瓶を倒して割ってしまった時、水をこぼしてしまった時、窓を閉めるのを忘れてしまった時、誤って引っ掻いて怪我させてしまった時etc…
誰もやりたくてやってしまった失敗ではないのに謝っても更に叱責され

恐怖で固まっていると今度は「まずはごめんなさいって言えや」と言われ…

謝った後には、次に同じ失敗をしないよう厳しい指導が入り、できるまでやらされる…

 

例えば上記のような失敗を子供がしてしまった時、私だったら

「大丈夫だよ、一緒に直そう」だったり「こうなると危ないから、こうできたら良いよね」と、次に繋がるような声かけができたら良いなと思うし

それが悪いことなのかわからなくてやってしまったのかなと思えば「こうすると相手は困るから、こうできたら良いんだよ」と、叱るのではなく教えられたら良いなと思うのですが

 

「ごめんなさい」の後が「そうだよね、あなたが悪いよね」と責められてしまうと

謝ることにも勇気を振り絞ったのに、言ったことで更に叱責されるというダブルパンチをくらって、更に謝ることがこわくなっていきます。

 

失敗すると怒られるという経験から「失敗してはいけない」という思考にもなり

完璧主義や、「失敗するかもしれないからやらない」という回避へとつながるのではないでしょうか。

 

社会に紛れる「謝れない人」

 

謝罪が引き起こす恐怖…謝ったら叱責された・相手の支配下に置かれた・見捨てられた

という経験は、かなり色濃くその後の人生に影響を及ぼすのだなということを実感し

私にとって普通だったことは多くの人にとっては普通ではなかったのだということを始めて知りました。

 

逆に言うと普通に謝ることのできる人は

謝ることに対してこれほどまでに恐怖を覚え、拒んでしまう人の背景を考えたこともないかもしれません。

 

目に見える障害ではないからこそ

また、話したところでほとんどどうすることもできないことだからこそ

当事者は「どうしようもない」という気持ちを抱えながら社会に紛れ、普通の人のように振舞うしかない…

そこがまた、愛着障害の闇な部分なのかもしれないですね。