【「人生脚本」とは】
私は社会人(教員)2年目に、教育カウンセリングの資格が取りたくて講習を受けに行った時に「人生脚本」という概念を知り、これを知れたことが人生における大きな財産だったと思っています。

“人生脚本(スクリプト)は、幼児期になされた決断に基づいて、人生をこう過ごしてやろうと決めた計画である”という定義だそうですが

例えば
物心つく前から養育者がコロコロと変わる環境で育ってきて、途中で愛を失う経験を多くしてきた
→“「愛は途中で失われなければならない」”という人生脚本
→「結婚してもいつか愛は失われるものだから、愛されなくなる前に離婚しよう」と結婚と離婚を繰り返すような人生を送ってしまったり…そもそも、結婚に至るまで相手を信じることができない人生を送ってしまったり…

“虐待を受けたり、親から否定され続けた”→"存在してはいけない"
“男の子が生まれて、親戚や知人に「本当は女の子が欲しかったのよ~」等と母親から言われる”→”男(女)であってはいけない
“子供の成功を素直に親が喜べない”→”成功してはいけない
“普段は異常に厳しく、病気になったとたんに優しくなる”→”健康であってはいけない
“子供が食べたい物や欲しいものを選んでいる時に、「これにしなさい」などと選択の余地を与えない機会が続いたり、自分の意見を聞いてもらえない機会が続く”→”考えてはいけない
“笑ったり、泣いたりした時に、常に「静かにしなさい!」と言われ続ける”→”自然に感じてはいけない
というような例もあったり。

「そんな極端な考え方するんだ」って思う人もいるかもしれないけれど
これらは「親から愛されるために取らなければいけなかった手段」なんです。

【私の人生脚本】
冒頭の、教育カウンセリング講習の中では「人生において辛かったり、逆境だと思った時、人は自らが描いた人生脚本通りに人生を進めようとしてしまう」という言い方をしていて
この話と共に、長渕剛さんとボクサーの方の映像を見ました。

映像の中でボクサーの方は
「ボクシングの試合に向かう前はいつも、家族に遺書を書いている。それくらいボクシングには危険がつきものだけど、俺には元気で帰ってくることを願っている家族がいるから、闘いにいけるんだ」と言っていて。
「帰ってくることを願っている家族がいる」というのはそのボクサーの方にとって【安全基地】となっているのだろうな、だから怖いことにも立ち向かっていける強さが築かれているんだなと思ったんです。
※安全基地:”幼い子供が『心地よい』と感じる約束された環境”で、”子供と親との信頼関係によって育まれる”(sportsnavi-アスリートにも重要、ポジティブな感情へ導く”心の安全基地”)

この二つの要素を取り入れたことによって
「あぁそうか、私は病気を必要としていたんだ」と気付いて…あの時私は涙が止まらなくなったんですよね。

私は幼い頃から病気がちな子で、大人になってからも身体に不調を感じて病院に行くことが多く「なんで私は大事な時にいつも身体が不調になるんだろう。こんな自分嫌だ」と思っていたわけですが

でも、本当は私は「病気になることで、不安から逃げることができたり、愛してもらうことができる」という脚本を自分で描いていたんだな…って。
休みたい、辞めたいと思っている時、単純に「今日は休みたいです」「この仕事はやりたくないです」と言うことはできず「病気になれば、許してもらえるかな」という考えになって、で、実際に病気になる…という感じで。。

じゃあどうしてこの人生脚本を描いたのかというと
やはりそれは幼少期の経験があって。

物心のつく前に母親が病気になり、私はタオルで支えられた哺乳瓶を飲んでいた程で
「私はここで寝ているから、そばで静かに遊んでいてね」と言われていたりだとかしていて
育児を十分にしてもらったという自覚はなく

「えりを産んだから、私は病気になった」と言われ
「私は生まれるべきではなかったんだ」「私が母を病気にさせてしまったから、母の助けにならなきゃ」と罪を感じ、罪滅ぼしをしなければいけない人生だと思って育ってきた。

熱が出た、吐いた、喘息になった…
そんな時であれば父は病院に送っていってくれて、母は一緒の布団で寝てくれて…
「構ってもらっている」「愛されている」と実感することができて。
だから私は「病気=愛」を結び付けた人生脚本を描いてしまっていたんだな…って。

【不幸な人生脚本から卒業した過程】
先述の通り、人生脚本は「親から愛されるために取らなければいけなかった手段」なんです。
子どものころは、親に養育してもらえないと生きていくことができないので、その手段を取ってでも愛を得ようとしたことは正解というか、仕方がなかった行為だと思うんです。

 

「私は親からの愛が足りていなかった」「愛して欲しいと思っていた」「だからこういう人生脚本が出来上がってしまったのも理にかなっている」

そうやって、まずは「そうだったのか」と自覚したからこそ、涙が止まらなかったのだと思います。

 

その上で。
大人になった今って、親から愛されていないと生きていけないのかな?と考えてみると
もう親元から離れて過ごしているならば、別に親からの愛がなくたって、生きていけるんですよ。

例えば、同棲している彼や配偶者、そうじゃなくても友達、周りの人が
「病気でない私」=「ありのままの私」を愛してくれているならば。愛してくれる誰かが現れるかもしれないならば。
もう病気は必要ない=その人生脚本を描く必要はないんだな…って。そう思ったんです。

 

あと私は母親に
「私はママを病気にしてしまったのだと思ってきたから、ママの助けになれるようにしてきた。でも、『もう私は大丈夫だよ』って、ママの口から言ってもらっても良い?」とお願いをしました。
そうしたら
「そんなこと考えていたんだ。もう私は大丈夫だよ」と言ってもらえて
母親を支えなければいけない立場からも、卒業したんです。

 

【引用文献】
https://be-counselor.com/life-screenplay
https://counselor-licence.com/ta2/
https://be-counselor.com/life-screenplay