こちらは過去のお話になります。

思い出しながら書いているので、時間軸が前後する場合があります。



    

実家の父は認知症で紆余曲折の後
有料老人ホームに入居していました。
認知症の進行はとても早く
食べ物を咀嚼することさえ
忘れていきました。


お正月に鰻を食べた1週間後、父が高熱を出して

救急車を呼んだ‥…と言う連絡が入りました。



慌てて駆けつけると、救急センターで説明を受けました。

膀胱炎からから腎盂炎を起こしてること。

抵抗力がないのでタチの悪い菌に感染していること。

ここの病院には入院できないこと。


認知症要介護5で、感染症にかかった父を受け入れてくれる病院がないのです。


結局、施設のホームドクターの病院が受け入れてくれることになりそちらに運ばれました。

その病院は、自宅からはさらに遠く最寄駅からはバスで急な坂を登っていくような場所にあり

山を開発して住宅が並んでいる一番上が病院でした。

一般診療が終わった夜だったので、人もいなくて静まり返っていました。

5階フロアの綺麗な個室に入院することができました。


高熱で誤嚥肺炎が怖いので栄養は点滴になります。




スルーしてしまったこの言葉が、父がもう口からの栄養補給ができない‥…という現実でした。

私の中では、熱が下がればまた口から栄養が取れると思っていたのです。


昼間病院に見舞いに行った時、入院時には気づかなかった空気の違いに気づきました。

なんとも言えない、重たい風の流れが止まったような生気のないフロア。

部屋のあちこちから聞こえる言葉にならない声。

ナースステーションにいる看護士さんのかもしだす空気感。


ここは、病気を治すことを目的としてる場所ではないのかも‥…と感じました。

否定しているわけではなく、こういう病院も絶対必要なのだけど、そこへ来てしまった感は拭えませんでした。


自宅からは病院へは車で1時間半はかかり、電車でも遠回りでしかいけず、もっと時間がかかり、私は運転が苦手なので、結局1週間に1度休みの日に夫と顔を出す程度。

父はほとんど眠っていました。

2週間ほどすると熱は下がりましたが、誤嚥肺炎になるから……と口からの食事は取ることは認められませんでした。

2週間の間に、あの鰻を食べた時の咀嚼能力さえ無くなっていたのだと思います。


す、すいませーん。水をくださーい。

誰か……水をくださーい。

ナースステーションには絶対届かないのに声を出す父を見て涙が出ました。

父の舌は鳥の舌のようにカラカラになっていました。

見かねて、脱脂綿に水を含ませて舌をぬらしてもいいか……とききにいきましたが、許可はおりませんでした。