五月イラスト3 | 唄のイラストブログ

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山田唄のイラストレーションブログです

 こんにちは。今回もイラストを十点載せてみます。

 

■血統の天使

 

■聖十字

 

■魔寄せの墓標

 

■蛇の女王

 

■棘竜刀

 

■電気猫(リメイク)

 

■能天使

 

■機界の堕天使(リメイク)

 

■神機

 

■螺子式蜥蜴

 

 さて、あれから絵以外の道を模索しつつまた定期的に寝込んだりしつつ生活しているのですが、未だに絵の他にやりたいことが見つかりません。まあ、ずっと絵だけで生きてきたのですし、そんなにいきなり他の事が拓けるわけもない。それでも、やっぱり絵は自分の全てで、これからも身体の一部以上の存在で有り続けるのだろうなと思いました。

 ぶっちゃけ、この二、三週間、絵の事を直視せず、好きに生活出来てとても楽だった。毎日絵は描いていたけれど、自由だ、という気持ちが大きくてとても動きが軽かった。

 

 でも、と思う。

 果たしてそれが自分のやりたかった「絵」なのか。本当はもっと血反吐を吐くような思いをして描いて来て、それをこれからも続けるのが自分の絵で、生き方なんじゃないか。

 

 余所のブログでお世話になっている方が、岡本太郎様の在る言葉を私に向けて送ってくださいました。

 

>「死に直面したときこそ、

>生の歓喜がぞくぞくっとわきあがるのだ。

>血を流しながら、にっこり笑おう。」

 

 山田さんはこの言葉が体感として理解出来る人なんじゃないの、と。

 その言葉に感化されたという訳では無いものの、なんだか今振り返ると本当にそうだったのかも、と思うんです。私は絵で自分を削りながら、その痛みで「自分は生きている」と認識していたのでは、と。

 そう考えると、最近の穏やかさから来る飢餓感の喪失もなんだか説明できる気がします。私は今、絵に真剣で無くなる事で、生きる意味を失くしている状態なのかもしれない。

 

 

 それでも、今の状態が楽である事に変りはないです。もしまた自分をあのギラギラした世界に投げ込むならば、今まで以上の痛みを覚悟しなければいけないだろう。そう考えると足がすくみます。

 ただ、徐々に覚悟が決まりつつあるのも確かなんですよね。特に何を言われるまでもなく、私は絵を描いて、そしてこれからも描き続けて行く。その時の心の在り方の違いでしかないのなら、本当に苦しんでやるのが自分らしさかもしれない。それが絵にまた「生の歓喜」をもたらすのかもしれない。

 

 

 まだ答えは出ませんが、それについて悩む過程も含めて意味があるのかもしれません。今は少し感情や衝動に身を委ねる事を思い出してみます。

 尚、先日書いたPBWの依頼は無事納品致しました。そこのシステムとして、依頼者様から毎回簡単なご感想を頂けるのですが、やはり励みになりますね。

 バイトから就職を目指すのは変えてはいけない指針だと思いますが、もっと長期的な視野で、絵と向き合い直す事を始める時なのかなと思っています。

 ではまた次回。