書かなくなったわたしは | オクノスタイル

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福岡を中心に、オリジナル曲を歌ったり、語りと即興音楽のライブをやったり
写真を撮ったり、物書きしたり

日々の様々を自分目線で書きつらねてます



とかなんとかいってたら
春分を過ぎ、旧暦のお正月ですね


最近、書くことが少なくなってきて

自ずと、ブログの間があいてきました


数年前、「ブログを毎日書く」というチャレンジをしばらくやってましたが

どうやって書いてたんだろう?と、今となっては不思議です


普段から書くことが大好きで、昨年までは、SNSにとどまらず、とにかく書きまくっていた


ノートは何冊にも及び、でもそれも、引越を機に全部捨てました


書かなくなった

書けなくなった、というのは、書くことがなくなったんだろうと感じます


わたしの中に、何かがたまってたまって息ができない


思い返してみれば、一年前までは、確かにそんな風でした


わたしはクロールが出来ないのですが、無理くりクロールを泳ぎながらの息継ぎできず、みたいな


心が壊れそうで、書くことすら出来ない時期を経て、書いて書いて、暇さえあれば書いて


そしてまた、書くことがなくなって、書かなくなった


書く必要がなくなった





書くことは、わたしにとって、承認欲求の表れのひとつだとつくづく感じました


伝えたいんだ!という強い欲求は、伝わらないことへの反動な気がしています


わかって欲しいことがあるのに、わかって貰えない

本当はこんなふうに思ってるのに、うまく言えない


そんなことが沢山沢山あって


書きまくって

整理して

気づいて

癒やした



小さい頃から、歌手になりたいとずっと言えなかったわたしは


その時のベストをつくし、高校へ

そのまま、奇跡の成り行きで教育大学へ進学した


自分でも先生になるんだろうと簡単に考えて、四年を過ごし、採用試験の直前で、先生になることは出来ないと受けるのを止めた


ギリギリの選択だったが

ギリギリ過ぎて親は絶句 笑


そのあと夢を口にするまで、さらに卒業後1年半かかった


それから、オーディションスクールみたいな学校に通うようになり、勧められるままに作詞作曲を始めたとき、一週間に一曲つくるという課題を驚異的に嬉々としてこなしながら


つきることはない気がした

曲は、次から次へと降りてきた

(良し悪しは問わず)


あの時、わたしの中で溜まりに溜まっていたものも、きっと同じだったのだ


わかって欲しい

伝えたい


この承認欲求の一部は、自分にとって、とても大切な衝動だったと、改めて思う


そこから生まれた自分の作品、言葉


、、いじらしくて、泣きそうだ 笑




あまり書かなくなった今、わたしは、才能が尽きたのかと少し悲しかった


でも、多分だけど


わかって貰えなくても大丈夫

伝わらなくても大丈夫


そう思えるようになったのだ


それは、こんな不完全な不義理な、中途半端な自分でも大丈夫、と思えるようになったということだ


きっと、大丈夫じゃなくても大丈夫


自分が大嫌い、から、いつの間にか、ここまで来れたんだなあ



振り返るとこの数年、スキルアップした訳でもなく、新しいチャレンジもしたような、してないような

何か変わった?と言われても、何にも変わらないとしか言えず


人として成長してないとだめだ、でも何にも出来てなくて、心苦しかった


成長するわたしでいたかった

自分に対する理想は、まだまだ高い



でも、心は、ゆるりと変化していた


見えないところで、わたしを受け入れて、わたしを癒やしてくれていたのだ




それに比例するように、言葉が簡単になってきたように感じる


昔は、すごくオリジナリティを模索して、小難しい言い回しを使っていた


歌詞も、どぎつい表現・テーマが多かった




じゃあ今は、どんな言葉を発するのか


どうなんだろうなあ





世界は、切なく美しいから