9月は、雨で始まった
少し涼しくなるかと期待したが、次の日からは普通に暑かった
それでも、光の位置が変わった気がする
それから、昼は夜にリセットされるようになった
あの、ずっと熱さの中にいて、永遠に1日が終わらない感覚が消えた
まるで、あぶりだしのようだ
昔、理科の実験で教えてもらって、しばらくはまってやっていた
果物の汁で紙に文字を書く
透明で見えないんだけど、紙をコンロに軽くかざすと、字が浮かび上がってくる
(確か)
夏と秋の境目は、そんな感じだ
見えなかった秋が、じんわり浮かび上がってきた
少し、匂いがする
ちょうど、京極夏彦さんの文庫本をバッグに入れていたので、カフェでしばらく読むことにした
「虚実妖怪百物語」というシリーズで、作者本人や水木しげる大先生や、その他色んな作家さんが実名で登場している
京極夏彦さんといえば
大学生の頃、後輩にすすめられて読み始めた京極堂シリーズにどはまりした
探偵役の京極堂は、古本屋で陰陽師
事件を解決する、というより、言葉によって解体していく
それを、呪術だと言っていた
言葉は術なんだな、と思う
どんな意図を持って放つのか、それは考えているよりはるかに威力をもって、放たれた側に影響を与える場合があって
受け取らなければ、放った相手に返っていくともいうけど
過剰に受け取れば、その言葉は怪物のように覆いかぶさってくる
逃げられずに、何度も思い出してはめった刺しになったりする
どこまでも傷は深く
そうなると、取り返しがつかない
人は、それぞれが自分のフィルターで全てを見ていて
いわゆる真実なんてどこにもない気がするけど
だけど
なんで人は人と繋がりたいと思うんだろうなあ
木漏れ日が、たくさん落ちていた
拾って持って帰りたいなあと思いながら、公園の散歩道を浮かれて歩く
仕事の面接の前に、時間があったので、知り合いの喫茶店によってお茶することにした
店主さんに、今から面接なんですよーなんつって話していて
店主さんは、楽しそうなお仕事ですね、遊びに行きたい、受かる気がする、と少女のようにずっとニコニコしながら聞いてくれた
わたしも、是非遊びに来てくださいねーと、まだ面接を受けてもいない職場に、あたかも受かったかのように誘ったりして
なんというか
楽しい気分になった
店主さんは、わたしを元気づけようとか特に何も考えず、あっけらかんと頭に浮かんだことを口にしたんだと思う
わたしは、彼女の明るい言霊の術にかかった
言葉には力がある
わたしとあなたの間に、明るいエネルギーが、花のようにぽんっと咲く
そしたらわたしは、その花を抱えて、次の場所へ行くのだ
何日か前のノートに、のれんは「入っていいよ」という合図、と書いていた
起きたばかりとか、寝ぼけてるときに、思いつくままノートに色々書いてるんだけど、↑は、なんでそんなことを書いたのか全然覚えていない
その前には、つむじはうず巻きだと書いていた
まあ、のれんを出している人でありたいな、と思わなくもない
来た人に、明るくいらっしゃいと声かけて、どうぞと招き入れる
適度な距離感で、優しい相槌をうち
また来てねと、送り出す
知らなくていいことは、いっぱいある
知ってるから、上手く共感出来る訳でもない
優しさは、のれんを揺らす風のように、ふわりと吹きすぎるものでもよくて、、
風のような優しさと、明るい花束を抱えている
そんな人、好きだな
などと、考えていた