迷路かもしれない | オクノスタイル

オクノスタイル

福岡を中心に、オリジナル曲を歌ったり、語りと即興音楽のライブをやったり
写真を撮ったり、物書きしたり

日々の様々を自分目線で書きつらねてます





音を発していなくても、私たちは音である

音は揺れだから

実際に耳に聞こえなくても

私たちは歌である





歌をやめよう、と思って、活動していた間使っていた名前と、一切のライブ活動をやめた

曲を作り始めて、オーディションを受けて、といった頃から、もうかれこれ25、6年


「何者にもなれない自分」を手放せて、むちゃくちゃ楽になったけど

「何者かになれるかもしれない自分」の微かな可能性をとうとう捨ててしまったことがショックで

自分で決めたことだけど、しばらくチーーーンとなっていた


もう何にもならなくていい!ちょー楽!

なのに、そこにはなんにも無い自分しかいない



うだうだ理屈っぽい、かまってちゃんの自分がどうにも好きになれなかった

だから、そこには嫌いな自分しかいなくて


これは、、このままだと本当に胸がはり裂ける、と思った






本の朗読が好きで、朗読と即興音楽をされるユニットのライブに、たまに参加していた

でも、歌うことと一緒にそれもやめるつもりで、台本も、ほぼほぼ処分してしまった




きっかけは、自分の写真展だったと思う
開催期間中に、お客様に喜んでいただけることは何だろうと考え、本当に久しぶりに、朗読ライブを企画した


そのライブで、お客様から、わたしの朗読は音楽が聞こえると感想をいただいたのだ


なあんだ
歌わなくても、歌ってるんだ

歌ってきたことは消えた訳ではなく、ちゃんと残ってるんだ

聞こえる人には聞こえるんだ、そう思って

嬉しくて、うちに帰ってものすごく泣いた



何をしてもいい

何をしてもしなくても、自分って何だろうと悩んでも悩まなくても、自分にしかならない

そう思えた瞬間だった



と同時に、これまでいただいた、色んな人の励まし、応援、温かい気持ち

そういったものがぶわあーっと蘇って、溢れて相まって

救われた気がした


わたしは、受け取っていなかったのだ

沢山の言葉を


いつも一人よがりで


胸が張り裂けそうだったのは、あんたが嫌いだと自分に何度も何度も言ってたからだ



それからも、決して、ぶれない自分が待っていた訳ではない

落ちたり上がったりを繰り返しながら、色んな事に翻弄され、自分を右往左往している

ただ、迷路の中で笑っていられるようになった、といいますか


迷路で笑ってるって、はたからみれば怖いけど(笑)



そのうち外に出られるだろうと、どこかお気楽に歩いている

なんもなくても、鼻歌は歌えるし、空も見える

たまには誰かに出会うだろうし、もしかしたら、一緒に冒険することになるかもしれない


いつか飛べるようになるかもしれないし、飛んだら、迷路は迷路でなくなる

そしたら、迷って進んでいたことを、懐かしむ日がくるかもしれない


飛べたらどこに行こうか


空を行く飛行機を見ながら、おーい!と叫びたくなる



あちこちで、ツクツクボウシが鳴いていた