おにぎりをにぎろう | オクノスタイル

オクノスタイル

福岡を中心に、オリジナル曲を歌ったり、語りと即興音楽のライブをやったり
写真を撮ったり、物書きしたり

日々の様々を自分目線で書きつらねてます



カチッと
わたしとそれが、ぴったり合う時がある

この時間に、ここで

知らずに、通り過ぎることも多い

だから、あ、と思ったら、歩き(や、チャリ)を止めて、なるべくそこに戻るようにしている


その、あ、は、微かで淡い雨になりたての雨の、波紋みたいなもので、捉え損ねることがあるのだ

何かが胸に広がった、けど、何だろうと思うまもなく忘れてしまう



でも、忘れてしまうのもわるくない、、というか、とてもいい

おそらく私たちの胸では、そういう波紋みたいなものが、ぽっぽっぽぽっと、落ちては消えていく

それを想像するだけで、なんだか心地よくなる

忘れてしまった、通り過ぎてしまったもののエネルギーが、形や言葉にならないまま、見ようが見まいが降り続けてる

そんなはっきりと見えない霧の湖みたいな美しさとなって、心を揺らしている気がするからだ


前回のブログで、○と☓とおにぎりの話をした

世界は○と☓でできていて、そこにおにぎりを入れると完璧だ、おにぎりは三角だから、と寝起きのノートにわたしが書いていたという話だが


その後に、NHKの「100分で名著」という番組をみて、これだと思った

ヘーゲルさんの哲学書、「精神現象学」の解説をしていて

AとBという主義の間を模索し、Cという選択肢を探す、それをアウフベーヘンと言うらしい

難しくて上手く説明出来ないけど、おにぎりはアウフベーヘンなんだと思ったのだ


おにぎりは、おむすびとも言う

結ぶという意識で、かけ離れてしまったものを合わせて、ふっくらと炊き上げ、ふんわりとでもしっかりと握り、それを美味しくいただく

人間にはそれができるのだな、と胸がいっぱいになった


挫けそうになって、投げ出しかけて、怠けたり見ないふりしたり逃げたりしながらも、自分をあきらめずに、おにぎりを握ってきたんだな、わたしも

上手にできなくて見た目がカッコ悪いおにぎりも、沢山あっただろう

誰かにとっては、まずいおにぎりだっただろうな、と思うと、ごめんなさいだけど(^_^;)


でも、これからも、おにぎりを握っていこう
アクアパッツァとか、絶品オムライスとかはハードル高いけど、おにぎりは握れる

そう思えた



昨日母と電話で話していて

結局、お母さんの作るものが一番美味しいという話になった

人はそれぞれ口を持っていて、美味しいって、その口に合うか合わないかだ

そういえば、母のつくるおにぎりは、俵型だったな


三角でも、俵型でも、おにぎらずでもいい
具も、何でもいい


あー
おにぎりって、めっちゃ自由だ



日本の神さまも、色んなものが合わさって、おにぎりされてるんだなあ