5.5  守備とバントの達人といわれ18年慎也コツコツと2000本安打 | 短歌&野球

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ぼくのへたくそな短歌と、大好きなプロ野球についての感想を、日記形式でつづります。ぼくの個人的な経験も書いてしまうかもしれません。

宮本慎也選手、おめでとう、ありがとう!



5月4日のこと。


15:00プレーボール。13:30開門。だから慎也の「2000安打」見たいひとがいっぱい、しかもGW真っ最中だから13:00には神宮へ着いた。何年振りかで妻も一緒だった。


ヤクルトレディさんからチケット2枚いただいていたこともある。でも95年に宮本慎也が入団してから、ぼくが妻に言っていたのは「プロ野球選手の中で慎也がいちばん好きだ」とゆうこともある。その慎也が1999本のヒットを打って、この日を迎えたのだ。彼女も慎也ファンだった。ヒロシマのホテルでぼくと彼女と慎也と真中と4人がエレベーターに乗り合わせたことがあった。


ぼくはスワローズがどのホテルに泊まるかを知っていたので、ツバメと一緒のホテルを予約していただけで、こんな場面もあるかなと想像はしていたけど、それだけだった。ぼくはツバメのファンなので、選手らと「知り合い」「友だち」になりたいとは思っていなかった。今もそうだ。


それは今死にそうなトラ叔母さんが、ぼくが子どもの頃、吉田とか村山とかのスター選手のファンとゆうか、飲み友達だった。そうゆう場にぼくもつれていかれて、おれもバカなんだけど、「ぼくはショートをやりたいです。ショートでいちばんうまいのは広岡です」とか言っちゃった。叔母があわてて「この子は東京ッ子ですから、ジャイアンツのことしか見てないんだよ。ごめんね、よっちゃん」と言ったのが印象的でしたね。「ごめんね、よっちゃん」とか、言えるのはファンではなくてスポンサーだな、って感じちゃったのね。それ以来、トラをすきになれません。60年代のどこかのことです。


だからぼくは熱烈なスワファンですが、ファンのひとりを超えて近づこうとは思いません。

子どものころに「プロ野球」は近づきがたい「夢の世界」だった。今もそうでありたい。

あこがれ、ているのがいい。


開門13:30より早くきたのにもう開門されてて、ぼくらはライトの席(ホームランゾーン)をとれず、内野席に近いまだ空席の多いところに席をようやく得た。


天気予報とちがって、雨天となった。プレイボール。


みなさんごぞんじのように、雨の中、慎也は2000本安打を第一打席で達成した。

妻にはその意味が分かったようで涙していた。




短歌&野球写真はSWALLOWS HOME PAGEから。
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1976試合での達成で、くしくも同期スワローズ入団の稲葉篤

紀と同じだった。


慎也が2000本安打を打った数分後に、稲葉が250号ホームランを打った。祝砲のように。


94年ドラフトで慎也は2位指名、稲葉は3位指名だった。むろん競合する他球団はひとつもなかった。



するとそのときのドラ1はだれだったの?って気になるでしょう。若い人は記憶にないよね。


オジサンが教えてあげよう。北川哲也という投手だった。暁星国際高校エースとして活躍、バッテリーを組んだ捕手はなんと小笠原道大(いまウサギ)。千葉県高校球界では「右の北川、左の石井(いまライオン)」とうたわれた。日産自動車で活躍。94年ドラ1でスワローズ入団。98年に4勝(5敗)したが、99年は1勝もできず、そのまま引退した。



その後のスワについて



5日のこどもの日は野村を打ち下しロマン好投で○も、6日マエケンにやられた。

GW9連戦は5勝3敗1分。まあまあでないかい。


8日豊橋で石川マサで負けた1-0。9日岐阜で村中で大敗。村中、調子落としてて心配。スタミナの問題かな。

きょうの赤川も心配。


次のG戦で連勝の予感。ロマン、館山だね。