神宮、開幕戦だ。
ウズウズして、仕事にならないから、もう出かける準備をしよう。
寒さ対策として…ウム、テーブルの上に膝掛け毛布とYSウィンドブレーカーとモモヒキと「貼るカイロ」が重ねて置いてある。
妻が「出陣準備」をしてくれたのだ。有難いことじゃのう。
昨夜「明日は神宮へいくよ」と言ったときには「どーぞ、ご自由にってゆう感じね」と、不機嫌にそっぽを向いていたのに…
妻とゆーか、女とゆうのは何年、何十年つきあっても、ぼくにはわからないことがいっぱいある。
開幕戦は野の花の女性といっしょに観戦するとゆうのが、ここ数年の定番になっている。そのことにヤキモチを焼いているようなのだ。
おたがい高校生ではないのだ。
自分の好きな男が働き者で、誠実で、知的で、女性に優しいとする。「彼」を好きになる女性が自分のほかにも現れるのは「当然のことだ」とゆうふうには、感情的にならないようなのだ。
それで「嫉妬」する。自分以外の女性と親しくしてほしくないと願う。
その感情をマトモにくらって妻ないし恋人に「忠誠」を誓った男は、どんどん魅力の無い男になりさがっていく。女はそれで安心する。
したがって、女性は(けっこう美しいひとでも)、怠け者で、ギャンブル好きで、本も読まない、女性を守れない、つまらない男の「好きだよ」にひっかかってセックスをし、結婚をすることになる。「彼を愛しているのはわたしだけ。彼が愛しているのはわたしだけ」が実現する。「もてない男」を縛りつけ、縛り付けられる。
世の男女関係はこうなっている。バカなカンケイでござる。
ここから続々と「DV」、「乳児・幼児虐待」、「離婚」が生まれる。
ぼくは若いころはずいぶんと「もてた」。
修羅場もたくさんあった。でも、妻と話し合ってそれらの危機を超えてきた。
でもいまやアラカンオヤジである。そんなにもてなくなった。
酒場の女性には好かれる。カネ払いがよいからで、べつにもてるわけではない、と思っている。性欲もおとろえた。
でも、現役の男をやっているので、あちこちに「女性ファン」はできる。これは止められないし、止めてはいけないでしょう?
妻とそうゆう話もする。「理屈ではわかるけど」とゆう。
でも、どうしても「いじやけちゃう」(おもしろくないとゆう意味の水戸のことば)とゆうことらしい。「女房妬くほど亭主もてもせず」なのに、ね。
あらら、神宮へいかなきゃ。
館山で今夜も勝つぞ。