昨晩は「罪と罰」読書会。
よく読んで準備できたので、議論を盛り上げることが出来たと思う。
第3部では「凡人・非凡人」についての論議が、いよいよラスコーリニコフと予審判事ポルフィーリーのあいだに緊迫した場面として展開される。
これは「罪と罰」の重大なテーマであるのだ。
「凡人」とは、要するに自分と似たような子孫を残すために生まれてきたような一般大衆だ。「シラミ」と変わらない(とラスコーリニコフは考える)。体制に順応することしかできない。
「非凡人」とは、「シラミ」であることに耐えられない人間だ。つねに何か新しいことを考えている。いわば「歴史を書き換えるために」生まれてきた「選ばれた存在」だ。
問題はその「非凡人」が自分の使命を果たそうとしたときに、その足をひっぱるような「シラミ」どもを踏みつけてよいか、とゆうことである。場合によっては殺してもよいか、と。「よい」とラスコーリニコフは考えた。それを「実行」してしまった。・・・これは19世紀の問題であったが、21世紀の日本でも潜在する問題でもある。
政権交代を実現したのもマスコミに踊らされた「一般ピープル」、その新政権の足を引っ張っているのもおなじ「一般ピープル」といえるからね。
「ぼくは20歳過ぎまで、自分を非凡人だと思っていたよ」とぼくは話した。「じゃあ今はなんだとおもっているの?」と質問があった。「ただの普通のオジサンだと思っているよ」と答えた。
ただ、率直にゆうと、「普通のオジサン」が少なすぎる。普通以下のオジサンがいばってる社会になってしまったので、日本は先進国ではなくなりつつある。「プロ」の仕事をいのちがけでやる男は少なくなったし、できれば「サボって生きたい」男が増えている。本を読まない。自分の意見を持てない。言わない。世論調査の多数派とおなじことを言う癖がついている。若い男は「草食系」で「気持ちよく生きている」。「世の中のことはわかんない」と平気でゆう。バカだ。そうゆうバカ男ばかりなので女は自分で働かなくてはならないと考える。「男は年収じゃないわ。優しさがいちばん」などと言って、バカ男とセックスして喜んでいる。そしてバカ女になっていく。・・・こんな時代だから、1860年代のペテルブルグにラスコーリニコフが現れたように、2010年代のTOKYOにもラスコーリニコフが現れるかもしれない。
とゆうような勝手な話をした。新宿3丁目の「ローレル」であった。それから末広亭ならびの「九州屋」で飲んだ。この店、気に入った。九州の酒と料理にこだわっている。終電で副都心線に間に合った。
こんな時代だから「歴女ブーム」になった、とも言える。
周りに、何かに夢中になってる男がいないのだ。「女よりも好きなものがある。それに夢中な男」とゆうものを、なぜか女は好きになるのだ。
恋愛の甘い言葉よりも、好きな男の何かに夢中な姿にハラハラドキドキしたいのが健全な女なのだと思う。
ぼくの「『歴女』ブームなんだって」とゆうコラムの書き出しは。
「歴女」って、歴史の好きな女の子という意味。昨年あたりからよく
耳にするようになった。NHK大河ドラマ『天地人』やゲーム『戦国
BASARA』のヒットで、戦国武将を歴史上の人物というよりも「アイド
ル」として夢中になってしまう若い女性が数多く現れたことから「歴
女」とよばれるようになった。「戦国乙女」ともいうらしい。
…どうして? オジサンはふしぎに思う。それはね、芸能界でも
スポーツの世界でもほんとのアイドルっていないからだよ。キムタク
もイチローもオジサンだし、妻帯者でしょ、ってマスコミは解説してく
れた。
とゆうことである。
さて、球春である。
きょうは2日雨で順延したセンバツ大会をやっている。
興南と帝京が勝った。里中李生の再校ゲラを読みながら2戦ともテレビで見てしまった。ぼくが応援したチームが勝ったのは喜ばしいことだ。
今は今治西と三重が戦っている。今治西に勝って欲しい。いまんとこリードしている。
今治西といえば秀悟の母校ではないか。G野郎になったやつ。
LUNAさん、秀悟が虎を完封したら拍手喝さいしてあげる。
でも、神宮では血祭りににしてほふってあげるよ。
セントラルリーグ開幕である。
これから東京ドームに行く。
好調石川マサが「巨人」を切りきり舞させて、青木、デントナ、ガイエル、宮本、浩康が打ちまくって初戦で勢いをつける。
昨年、スワローズはGに5勝18敗1分とゆうみじめな結果だった。
今季はその逆くらい勝って欲しい。
勝って野球Barで美酒を飲みたい。
とゆうような