詩人としてか、革命家としてか、牧師としてか、市民としてか、野球狂としてか、ぼくが死んだあとに、ぼくの存在した意味を語る人々がいるかもしれない。生きてるうちに語ってほしかったよ。でも、その人たちが勘違いしないようにあらかじめいくつかの指標を提示しておかなくてはならない。そのひとつがこの歌である。
フランス語でビュッシュは「薪(まき)」とか「切り株」とゆう意味です。
ノエルはクリスマスのことです。
東京でも洋菓子屋さんには「これぞわが店のビュッシュ・ド・ノエル」と気張った、自信たっぷりの、おいしそうな「クリスマスの薪」が並びますね。
クリスマスって、そんなに気張るお祭りでは、本来、なかったはずなんですけどね。
ぼくもイブに勇気を出して婚姻届を出しに行ったんですよ。30年前。
気張ってたな、あのころは。いまはスワローズがもうすこしで勝ちそうなときくらいしか、気張らんです。
なぜクリスマスケーキに「薪」や「切り株」をあしらうようになったか、その由来については諸説あります。かつて北欧では樫の薪を暖炉に燃やすと、一年中無病息災で暮らせるとゆう伝説があった、とか。切り株の形はイエスの誕生を野宿していた羊飼いたちが夜通し薪を燃やしていたとゆうルカ福音書から、とか。
貧しく、彼女へのクリスマスプレゼントを買えない若者が、森で、悩み、せめてもと薪の一束を彼女に贈ったとかね。
ぼくはその伝説がいちばん好きです。
ぼくは森に生きる若者ではなかったけれど、都会に生きるしかなかった若者だけど、彼女を愛したいと信じていたし、いつもバカだったけど、「クリスマスの薪」だけは絶やさず贈り続けたと思います。
だから毎年、こんなふうに妻は忙しいのに「ビュッシュ・ド・ノエル」を、ぼくのためにつくってくれるのです。
WBCの代表候補、34人。
発表されたけど、まあ、妥当なところと思いたいが、
の選手がひとりもいないことが、やはり異様である。
そのぶん
の選手が入った。「え」と思うようなやつも。
セントラルリーグをバカにしたような感じもある。
そもそも、ぼくは「国別対抗」とゆうのが好きでない。なんでそんな形で「世界一」を決めなきゃならないのか。
ふだんは市民クラブでやってるのに、それの「プロ」なのに、どうして世界になると「国家代表」なのか?
国家対抗とゆうのは、どうしても「戦争」の比喩である。人類が戦争を解決したのなら「戦争ごっこ」でいいけれど、だれもどこも解決能力を発揮する国がないなかで、どんなピースメイクな意味があるのか。
