きょうで9月も終わろうとしている。
それなのに、野球のセ界もパ界も、順位が確定していない。
パシフィックリーグはライオンのシーズン優勝、オリックスの2位が決まった。
3位はわが愛するハムとロッテがどっちがおいしいかと、最後のせめぎあいだ。
どっちが勝っても負けてもファンは涙するだろう。
そして3位を決めたチームがCSを制するような気がする。
ライオンとオリックスにはシーズン順位を決めた夏場の勢いが、すでに失われているからだ。
セントラルリーグは半信と虚塵の優勝争いも、
と
の3位争いも息苦しいような結末に向かっている。
そしてここでも3位にすべりこんだチームがCSを制するのではないかと予感する。優勝チームにアドヴァンティジはあるのだが、短期決戦は勢いあるものが勝つ。
もしもSwallowsが神宮の奇跡を起こすなら、そのときは由君がエースとなっているだろう。
松山に来て最初に驚いたのは、特急いしづち9号を降りて改札へ向かったが、自動改札口がない、ことだった。四国松山は伊予国、愛媛県の県都である。その松山駅の改札には数人の駅員が立っていて、「松山へようこそ」笑顔でぼくたちを迎えるのである。
PASMOの通用しない国! なんか感動しちゃったね。写真撮ったのに、しまった。削除しちゃった。
街全体が「日本がもっとゆっくりしていた時代」を演出しているのだと、あとで気づいた。
まずは「坊ちゃんスタジアム」に行った。
「草茂み ベースボールの 道白し」 正岡子規
ほんとうはスワローズの公式戦か秋季キャンプのときに来たかったのだが、いたしかたない。
の・ぼーるミュージアムは見ごたえあった。アマチュア館とプロ館に分かれていた。
の・ぼーるとは子規は升(のぼる)とゆう幼名であり、俳句の雅号として「野球」と書いて「の・ぼーる」と読ませたりした。日本人が「野球」と表現した最初である。やがてbaseball の訳語として「野球」が定着することになる。
明治21年に東京から帰郷した子規がボール、グラブ、バットなどを持ち帰り、河東碧梧桐らにキャッチボールを教えたのが、四国での野球のはじまりである。
明治期から今日にいたるまで松山および四国アイランドは野球先進国でありつづけている。
予讃線で高松から松山までの列車は坂出、丸亀、多度津、観音寺、川之江、新居浜、西条、今治といった駅を通っていったが、ぼくにははじめて見る町々だったが、みんな知っているのだった。甲子園に出てきた高校の名前として覚えているのだ。
そして高校野球やプロ野球で活躍した選手たちの名前が走馬灯のようにめぐって思い出される。
古くは松山商業から藤本定義、景浦将、千葉茂、高松からは三原脩、水原茂・・・中西太・・・西条高からK大、日石、虚塵の藤田元司、近くは松山商から虚塵の西本聖、今治西からスワ、ハムの藤井秀悟、
松山の先の宇和島東からスワの宮出隆自、レイズで大活躍の岩村明憲・・・もう挙げきれないほどの数々の名選手、名監督を輩出した松山、そして四国とゆう野球の国。
古田敦也が2000本目のヒットを放ったのが「坊ちゃんスタジアム」である。
その試合で古田が使ったバット、ミット、身に着けたユニフォーム、マスク、プロテクター、レガースなど、ふんどし以外のすべてが展示されていた。
もちろん岩村明憲のコーナーもあった。でも、写真に失敗。
←すごいのは宮出隆自選手のユニフォームとバットが展示されていたことだ。
ばんざい坊ちゃんスタジアム! かっとばせ、宮出!
GO GO SWALLOWS!

