「一万時間の法則」の何が間違っているのか? | ないとうゆうたの気功教室

ないとうゆうたの気功教室

セミナーやブログを通じて現代気功を10年以上教え続けています。

「最短最速での覚醒」が僕の活動の中心テーマです!

・Dr.Tomabechi Counter-Brainwash Evangelist
・慶應義塾大学理工学部卒業

昨日の記事の最後で、「10000時間の法則で足りないことがある」ということをさらっと書きましたが、そのことに関して以下のようなコメントを頂きました。


(引用開始)

最後のこの文章についてもう少しだけ解説してもらえないでしょうか?
大事な気がしますので。

(引用終了)


ご要望がありましたのでこの記事にて返答します。

まず、一万時間の法則というのは「天才と呼ばれる人たちは誰もが一万時間の練習を積んできている。」というものです。


「そして、逆に一万時間さえ練習を積めればその分野で天才になれる」ということが巷でよく主張されています。


モーツァルトもタイガーウッズもイチローも膨大な練習の果てに天才と呼ばれるようになっているのは事実です。

そして膨大な練習を積まずに群を抜いて天才と呼ばれるまでのスキルに達することはありません。


確かにこの部分だけ考えると正しいように聞こえるのですが、
ただこれには大事なことが抜けています。

そのことに気付けるのが次の質問です。


「私たちは果たして天才的な歩き方を出来ているのだろうか?」

です。


年齢にもよりますが、少なくとも20歳に達するまでには多くの方が一万時間以上は歩いているはずです。

そして、もし一万時間の法則が正しければ、街を歩いている多くの方が天才的な歩き方をしているはずです。

が、実際はどうでしょうか?


どの人を見ても美しくてウットリするような歩き方をしている人には、残念ながらほとんど出会うことが出来ません。


それどころか解剖学的に考えたら奇跡としか思えないような身体の使い方で歩いている人がほとんどです。


例えば体重を、脚の外側のお箸のように細い骨(腓骨)に乗せて歩いているのがその典型でしょう。

本来は内側の太く立派な頸骨に乗せるのが身体の使い方として合理的です。

ですが、頸骨にしっかりと体重を乗せて歩けている人はほとんどいないのです。


これが一万時間の法則に対する反例です。

ただ量さえこなせば天才的になるということはありません。


では「一万時間の法則」の何が足りないのは何なのか?


それこそが「常に初めて行うつもりで練習を積む」ということです。

言いかえれば、「フィードバックを細かく取りながら行う」ということです。


ぼんやりとただ量をこなせば良いなんてことはなく、のプロセスをひたすらに積み上げていく必要があるのです。
「あーではないか?こうではないか?」と仮説を立て、実際に試し、その結果を細かく観察して検証する。

その繰り返しを天文学的な時間を積み上げた果てに(冗談です。せいぜい一万時間です)、天才達の風景が広がってくるということです。

そのことは『究極の鍛錬』を読むとよく分かります。

「練習量さえ積めば十分」ということはないのです。


と、ここまで書きましたが、
ただやはり一万時間という数字はあまりに途方も無く感じてしまうかもしれませんね。

そこで僕たちはもっとシンプルに考えても良いと思います。

つまり、「天才になるためには単に好きなことを好きなだけするようにしたら良い」ということです。

好きなことをずっと続けていれば、いつの間にか天才の域になっています(^^)

もしかしたら、天才過ぎて周りからその凄さを評価されない可能性もありますが(^^;


究極の鍛錬/サンマーク出版
¥1,890
Amazon.co.jp
 
 

天才! 成功する人々の法則/講談社
¥1,785
Amazon.co.jp