1992年3月10日。東大前期入試合格発表の日。私の人生で最悪の日のひとつだ。
この日、私は本郷キャンパスに合格発表を見に行った。東大型模試はC判定かD判定。失敗したなと思ってもE判定にはならなかったし、B判定に近いときもあったから、もしかして受かるかも、と思っていた。
しかし、私の受験番号はなかった。文科Ⅲ類不合格。
さらに悪いことに私は受験がうまくいった友人二人と見に行っていた。二人とも第一志望の私大に合格していた。私だけが受験に失敗した。
当時東大には後期日程入試もあったのだが、後期は出願していなかった。理由は二つ。第一に小論文対策まで手が回らなかった。第二に後期はセンター試験3教科で私大専願者も出願してきて高倍率になる。まったく自信がなかった。
不合格発表を見てから本郷三丁目駅の近くにあったドトールに寄った(今もあるのかな?)。友人たちは慰めてくれ、私も明るく振舞った。しかし、二人と別れて新幹線に乗ったとたんに涙があふれてきた。
親にも連絡した。当時はまだ携帯電話などなく、どこかの公衆電話から。どこの公衆電話からだったかは覚えていない。連絡が遅くなったため、親は、だめだったなと思っていたようだった。
現役ならまた来年挑戦すればよかった。しかし、私はすでに一浪しており、それは許されないことがわかっていた。私自身は二浪してもよいと思っていたが、スポンサーである親、とくに父は「二浪目は学力が落ちる」という持論をもっていたからだ。彼は高卒だったのだが。
というわけで、私は合格していた私大に進学することになった。早稲田にも慶應にも落ちて第四志望の滑り止め大学である。東大対策しかしていなかったから、早慶に受からなかったのも当然といえば当然であった。早稲田は模試の判定が東大よりも悪かった。
次の日からしばらく自宅で部屋に引きこもって泣いていた。