1990年代初頭は私大バブル期と言われる。受験人口が急増し、首都圏、関西都市圏を中心に私大の偏差値が急上昇したからである。おまけにこの時期はバブル経済で景気がよく、親の財布にも余裕があり、私大専願者は10校くらい受けるのが普通であった。受験料1校3万円として、受験料だけでざっと30万円である。
実は、私大の偏差値自体は首都圏の私大上位校は2020年現在とあまりかわらない。上智は今よりも高った。早稲田政経、慶應法、上智法国際関係法などは河合塾の偏差値で70.0だった記憶がある。明治政経、中央法、同志社法、青学国際政経が67.5くらいで早慶上智に次ぐ位置だったと思う。
驚くべきは日東駒専や産近甲龍といった大学も50台後半~60前後の偏差値だったことである。これらの大学も当時は十分難関であった。私の出た高校は学区のトップ校であったが、同級生や近い先輩後輩に一浪しても日東駒専クラスの大学になってしまった人たちが数人いた。今では考えられないことである。
1990年前後の大学受験の過酷さについてはこの記事を参照されたい。
受験地獄は過去の遺物、今や合格率93%の「大学全入時代」(ニューズウィーク日本版)
東大受験生にとっては、センター利用で私大の滑り止めを確保できるようになったのは大きいと思う。当時は、センター利用の私大は慶應法だけだった(その慶應法は現在センター試験を利用していない)。東大受験生も早稲田にガンガン落ちた。問題の傾向も違うので当然といえば当然である。だから当時は早稲田政経・法・商などは東大の滑り止めにはならなかった。東大を蹴って早稲田政経を選んだ受験生もいたほどである。
むしろ東大受験生と相性がよかったのは慶應である。論述問題(小論文、社会にも論述問題が出る)や数学があったからである。
ちなみに当時、数字だけ見れば私立よりも国立の方が偏差値が低かった。記憶しているところでは、河合塾で
<私大>
早稲田政経 70.0~
慶應法 70.0~
上智法 70.0~
中央法 67.5
明治政経 65.0
立教法 62.5
日本商 60.0
<国立大>(二次)
東大文Ⅰ 67.5
東大文Ⅱ 65.0
東大文Ⅲ 65.0
一橋法 65.0
大阪法 62.5
東北法 60.0
千葉法経 52.5
という感じだったと思う。「なんで東大の偏差値がこんなに低いんだ」と思うかもしれない。偏差値は、平均(偏差値50)からどのくらい離れているのかということで、東大は常にトップなのだから、当時の母集団のレベルが高かったということである。それに河合塾はこの偏差値を出してC判定なのだから、A判定をとるには+5が必要であった。
また、千葉や東北の数値が低いのは二次に数学があるからだ。文系二次型数学を受けるのは旧帝大などの志望者がほとんどだから、母集団のレベルが高く、高い偏差値が出にくいのである。
こうなると東大より早稲田や慶應の方が模試の判定が悪いということにもなりかねない。実際私はそうであった。5教科(英国数社会二つ)で偏差値67で東大文ⅢはC、3教科(英国社)で偏差値69で早稲田政経はDなんてことがあった。