私の高校から東大に進学するのは理系が多かった。だいたいが理Ⅰか理Ⅱ。
私は、それは、高校で社会二つがちゃんと履修できないことが理由だと思っていた。社会ひとつ独学でやらなければならないのは大変で、だから東大文系を目指す生徒が出ない。
私の学年で東大に行ったのはたしか7、8人。そのうち文系は2人だけだった。
大学を出て何年かたって、ある本を読んでいた時、こういう一節に出会った。
「文科系の研究は、家族の中で秘めやかに慎重に培われる嗜好や言語が割増金になるのに対し、自然科学のほうは、そうした割増金が少なく、貧困層の学生にも習得しやすい学問である。貧困層の学生は、家族に教育がないことから文化的象徴の操作に弱点があるとはいえ、数学のようなもうひとつの抽象言語の使用において『富裕な学生』と同じ出発点をもっている」
(竹内洋『教養主義の没落』中公新書、2003年、123頁)
これは、ロバート・スミスという学者がフランスの高等教育機関エコール・ノルマル・シュペリウールの学生の出身階層を分析した研究の引用であるが、つまり文系の学問の方が、親が知的な職業についていたり教養ある家庭に育つことの影響が大きいということである。
(※ただし、竹内著によれば、日本の戦前の帝大はむしろ文学部に農村出身者が多かったようで、それは田舎ほど教養に対する激しい渇望があったからだというようなことが述べられている。私が東大を目指したのも同様であった、地方出身だからこそ東大や知的職業に憧れがあったからのように思う。)
私はピンと来た。地方には文化的で教養ある家庭が少ないのが東大文系への進学者が少ない理由の一つではないか。30年前ということもあるが、公立学区トップ校でも親が大卒ではない生徒はたくさんいた。私もその一人であった。また、地方で知的な職業といえば、せいぜい医者か教師だ。都会に行けば大学教授とか中央官庁の官僚とか弁護士とかいろいろありそうだ。実際、都市部の大学に進学して初めて大学教授とか裁判官の子供というのに出会った。
もちろん上記のスミスの引用では文科系の「研究」となっており、研究と受験勉強とは違うのかもしれない。しかし、やはり、理系教科/学問の方が、文化資本の影響は小さいように思えるのである。
本当に東大文系入学者と理系入学者の出身地域を調査してみたらおもしろいのではないだろうか。
ちなみに私の学年で東大文系に行った2人は、どちらも地方政治家の子弟だった。やはり田舎では文化的な家庭の出身であった。