夫婦別姓違憲訴訟 地裁判決(東京地判平成25・5・29) | 憲法判例解説

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いよいよ明日、夫婦別姓についての最高裁の憲法判断が下されます。

 

これはご存知のとおり、夫婦別姓を認めていない民法750条が、個人の尊厳を定めた憲法13条、そして夫婦の平等を定めた憲法24条に反しており、その民法750条を改正しなかったことが国家賠償法11項の違法にあたるとして争ったものです。

 

女性差別の問題としても重大な判決ですが、さらに、今回、最高裁は、いったいどのような手法で憲法判断をするのか、これも大変興味深いところです。

 

それでは夫婦同姓違憲訴訟の第1審判決を見てみましょう。

 

なお、法的には夫婦別氏であり夫婦同氏ですが、以下、わかりやすくするために別姓、同姓とします。

 

 

地裁判決(東京地判平成25529

 

国賠法11項は、国又は公共団体の公権力の行使に当たる公務員が、個別の国民にたいして負っている職務上の法的な義務に反して、その国民に損害を加えたときに、国又は公共団体が賠償する責任を負うと規定しています。

 

ですから、国会議員が立法を改正しなかったこととか、制定しなかったことが、国賠法11項の適用上違法となるかどうかは、国会議員の行動が、個別の国民に対して負う職務上の法的義務に反したかどうかの問題です。国会議員が職務上の法的義務に反したかどうかは、立法の内容そのものの違憲性や、立法が行われなかったことそのものの違憲性の問題とは別のことです。仮に、その立法の内容や、立法が行われなかったことが憲法に反するものだったとしても、だからといって国会議員が法律を作ったり作らなかったりしたことが、すぐに違法となるわけではありません。

 

しかし、その立法の内容が憲法の保障する権利を違法に侵害するものであることが明らかな場合だとか、あるいは、憲法が保障している権利を国民が行使できるようにするためには法律を作らなければならないことが明らかで、国会が正当な理由なく長期にわたってこれを怠った場合などには、例外的に、国会議員の立法行為又は立法不作為は、国家賠償法11項の規定の運用上、違法の評価を受けます。(17年判決)

 

ここでは立法不作為について違憲判断の基準を示した「在外選挙権訴訟」の大法廷判決(最大判平成17914)を引用しています。なお、この基準の前半部分は、さらに従来のリーディングケースであった「在宅投票制度廃止事件」の最高裁判決(最判昭和601121)の基準を引用したものです。

 

「在宅投票制度廃止事件」において、最高裁は、立法府の立法行為・立法不作為が国賠法上違法となるための基準として、「国会議員が個別の国民に対して負う法的義務」に反したかどうか、としました。そして、同時に国会議員は国民全体に対して政治的責任を負うだけで、個別の国民に対して法的義務を負ってはいない、としたわけです。

 

そして唯一の例外を、「立法の内容が憲法の一義的な文言に違反しているにもかかわらず、国会があえて当該立法を行う」というような「容易に想定し難いような例外的な場合」としました。

 

この基準では、ほとんど立法不作為の違憲訴訟の可能性は否定されたようなものですが、これに対して、下級審において、この昭和60年判決の基準を克服する試みが続けられました。

 

そして平成17年判決において、最高裁自身も、実質的に判例変更に等しい立法不作為基準を打ち出しました。これが基準の後半部分です。

 

民法750条をそのままに放置したことが仮に憲法の規定に違反したとしても、だからといって、国会議員の行動が、ただちに国家賠償法11項上の違法とされるわけではありません。国会議員の立法過程における行動が個別の国民に対して負う職務上の法的義務に反したというためには、婚姻に際して、婚姻当事者の双方が婚姻前の氏を称する権利が憲法上保障されていて、その権利行使のために選択的夫婦別姓制度を採用することが必要不可欠で、そのことが明白であって、国会議員が個別の国民に対し選択的夫婦別氏制度についての立法をする職務上の法的義務を負っていたのに、国会が正当な理由なく長期間これをしなかったという必要があります。

 

実は、当事者が主張したのは、氏を(姓を)変えられない権利でした。しかし、ここではそれが結婚する双方が婚姻前の氏を(姓を)称する権利と言い換えられています。これは、人格の象徴である氏を変更されないという防御権を、単に、氏の決定権に置き換えてしまったということであり、そのことで制度による制約可能性を広く認めうるものとしているわけです。

 

平成17年判決の基準は、国会議員の立法行為が国賠法上の違法にあたるのは、国会議員の行動が個別の国民に対する法的義務に違反した場合である、という昭和60年判決のきわめて狭い基準に対し、例外基準を作ることで広げているわけです。しかし、ここでの1審判決は、例外基準を60年判決の基準に再度読み込むことで、つまり、例外基準を満たすことで、60年判決の狭い基準をクリアできるような場合に限定することで、平成17年判決の基準を、昭和60年判決の基準にまで戻しているように見えます。というより、二つの規範が混ざってしまったできの悪い予備校生の答案のように見えてしまうのは私だけでしょうか。

 

原告は、民法750条が憲法13条、24条に反し違憲であると主張していますが、仮に、民法750条が憲法に反していたとしても、ただちに国会議員の立法不作為が国賠法上違法とはなりません。また、それのみでは国会議員が立法過程において個別の国民に対して負担している具体的な職務上の法的義務が存在しているといえるものではありません。

 

この部分、前半はもっともなのですが、後半、民法750条が違憲であれば、国会議員にも違憲の法律を是正する義務が生じるというのが一般的な理解です。先ほど、平成17年判決の例外要件を昭和60年判決の規範に無理やり入れ込んだため、「個別の国民」に対して、というクリア不可能な要件が例外要件に入り込んでしまいました。(これが故意だとしたらすごいですね。)

 

そこで、婚姻に際し、婚姻当事者がいずれも婚姻前の氏を称する権利が憲法上保障されているといえるかについて検討します。

 

「あんたが勝手に作ったそんな権利が、憲法にあるわけないでしょ」って突っ込みたくなるところです。

 

憲法13条は、個人としての尊重とともに、個人の生命、自由および幸福追求の権利を定めており、一般的包括的権利を規定しています。

 

氏名は、社会的にみれば、個人を他人から識別し特定する機能を有するものですが、個人からみれば、人が個人として尊重される基礎であり、その個人の人格の象徴であって、人格権の一内容を構成するものです。ですから、氏名を他人に勝手に使われない権利・利益が認められますし(最判昭和63216)、氏名を正確に呼称される利益も認められます。(最2判平成18120

 

しかし、人格権の一内容を構成する氏名について、憲法上の保障が及ぶべき範囲が明白であることを基礎付ける事実は見当たらず、婚姻に際し、婚姻当事者の双方が婚姻前の氏を称することができる権利が憲法13条で保障されている権利に含まれることが明白であるとはいえません。

 

ここは人格の象徴である氏名をみだりに変更されない権利を考えるべきところでしたが、なんだかわけのわからない権利に変えられてしまいました。それは確かに、憲法13条が保障していることが「明白である」とまではいえないでしょうね。侵害に対する防御権ではなく、氏を自己決定する権利と置き換えた以上、当然の帰結です。

 

昭和22年に旧民法が現行民法に改正された際、家制度が廃止されました。夫婦の氏を「夫又は妻の氏を称する」と規定した民法750条の趣旨については、第1回衆議院司法委員会で、家制度の廃止により「家」の氏はなくなったものの、「ファミリーネーム」として個々人を表すという意味での氏が必要と考えられたことが説明されました。この際、氏というものが、婚姻制度に必要不可欠のものであるとも、婚姻の本質に起因するものであるとも説明されていません。

 

姓はあくまでも「個々人を表す」ためのもので、姓と名前をセットで使うことで個人の特定度合いを高めるためのものだったようですね。姓を一致させることは婚姻の本質とは関係ない、と考えられたようです。

 

また、昭和297月以降行われた法制審議会の審議においても、氏に関する規定が議論され、婚姻による氏の変更を不利益とする人々がある以上、夫婦の異姓を認める社会的必要があるのではないかとの考え方が述べられましたが、これに疑問を呈する意見もあり、結局、昭和307月、民法750条について、夫婦異姓を認めるべきか否か等の問題については留保事項とされました。

 

昭和51年には、婚姻中の氏で長年社会的活動をしていた人の社会的不利益、子の氏と監護者の氏が異なることによる社会的不利益を除去することを目的として、婚氏続称規定が新設されました。(民法7672項)

 

離婚した場合、婚姻によって姓を変えていた人は当然、婚姻前の姓に戻ります。婚姻後の姓で社会的活動をしていた人にとっては、姓が代わることで不便が生じたり、場合によっては、離婚の事実を知られたくない場合もあるわけですね。また、両親が離婚しても子の氏は変動がありません。そうすると、親子で氏が異なることにもなるわけです。そこで、婚氏続称といって、婚姻中に使っていた氏を、離婚後も「名乗る」ことができる制度ができたわけです。

 

以下、余談です。ここでは監護者との氏の違いを問題にしていますが、実は1965年以降は、離婚後は母親が親権者として子供を引き取るケースのほうが多くなっています。(それ以前は父親のほうが多かった)2000年以降、母親が親権者になる割合がおよそ8割といわれています。

 

ですが、氏が異なれば同じ戸籍には入れません。また、婚氏続称によっても「婚姻中の氏」と「続称手続きによる氏」は別の氏として取り扱われ、子を戸籍に入れるためには、子の氏の変更許可を取らなければなりません。この場合、子の氏も、表面上は同じですが、法律上は別の氏になったことになります。

 

法務省は平成412月に「婚姻および離婚制度の見直し審議に関する中間報告(論点整理)」における問題提起を公表しました。これに対して寄せられた意見の中には、氏名は人格的利益の一内容であり、人格権の尊重のため夫婦別姓を認めるべきとする見解、あるいは、夫婦同姓の強制は、氏名権の侵害であるとするもの、夫婦の一方が改姓を強制される以上、実質的平等とはいえないとする意見もありました。そして、法務省が、平成67月、公表した「婚姻制度等に関する民法改正要綱試案」に対しては、選択的夫婦別氏制度の導入に賛成する意見が多く示されました。政府は、平成121212日、「男女平等等の見地から、選択的夫婦別氏制度の導入や再婚禁止期間の短縮を含む婚姻および離婚制度の改正について、引き続き検討を進める」との内容を含む男女共同参画基本計画を閣議決定し、男女共同参画会議基本問題専門調査会は、平成1310月、「選択的夫婦別氏制度に関する審議の中間まとめ」を公表し、「選択的夫婦別姓の導入が望ましいと考える」と記載しています。

 

上記のように、夫婦同姓について検討の余地があることは昭和29年以降認識されていたといえますが、そのことから、婚姻に際し、婚姻当事者の双方が婚姻前の氏を称することができる権利が憲法上保障されているといえるものではありません。

 

問題の所在は国会も把握していたということになります。ですから、国会が長期にわたって立法措置をとらなかったことは言えるわけです。しかし、問題となる「権利」が、憲法上保障されているといるとは言えないわけですね。

 

また、婚氏続称の制度(民法7672項)の導入によって「身分変動があっても氏の変更を強制されない権利」が憲法上保障されているともいえません。

 

憲法24条は、婚姻が、両性の合意のみに基づいて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として維持されること、婚姻に関する事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して制定されなければならないことを定めています。

 

この定めは立法上の指針を示したものであり、憲法24条が、具体的な立法がなくても、直接、個々の国民に対して、婚姻に際して婚姻当事者の双方が婚姻前の氏を称することができる権利を保障したものということはできません。

 

本判決の憲法24条の解釈、すなわち立法上の指針という考え方は通説と言われています。しかし、この考え方をとった場合でも、憲法24条は、婚姻制度に関する立法裁量の限界を定めていると考えうるわけです。しかし、ここでは直接的な権利性を否定するのみで議論が終わっています。

 

以上のとおり、婚姻に際し、婚姻当事者がいずれも婚姻前の氏を称する権利が憲法上保障されていると言うことはできません。ですから、憲法を根拠とする原告らの請求は理由がありません。

 

なお、氏を変更することにより、人間関係やキャリアの断絶などが生じる可能性が高く、不利益が生じることは容易に推測しうることであるから、婚姻について選択的夫婦別姓制度が採用されることに対する期待が大きく、これを積極的に求める意見の多いことは事実です。しかし、だからといって、直ちに、国会議員が個々の国民に対し、選択的夫婦別姓制度に関する立法を行うべき職務上の注意義務を負い、立法不作為が国賠法11項の適用上違法との評価を受けるということはできません。

 

このあたりはなんだか言い訳のようです。平成17年判決で、大法廷は合憲性審査を先に行い、その後、国賠法の適用について検討しましたが、本判決は、昭和60年判決の手法に戻って、国賠法上の違法性の問題によって合憲性審査を避けてしまいました。これは、司法の謙抑性という美名によって、本来の問題を避けたものであり、大変残念な判決です。

 

なお、判決は、この後、女子差別撤廃条約についても触れ、それが個々の国民に対し直接権利を保障したものではないことを理由とし、民法750条を改廃しないことが「仮に女子差別撤廃条約に反するとしても」このことからただちに国会議員の立法不作為が違法の評価は受けない、としました。