前々回のblogで自分が当事者ならどうするか?どう考えるか?という話をしました。これは、日々、積み重ねて欲しいです。例えば今、イスラム国で人質にとられている日本人を身代金を払わなければ処刑するという残酷で無慈悲なニュースが新聞、テレビで報じられています。
もし、あなたが安倍首相の立場ならどうしますか?「命は地球より重い」とハイジャック犯に身代金を払ったのは福田首相。命の大切という立場から、私なら身代金を払って開放の交渉をする、というのは1つの答えでしょう。でも、身代金を払えば、日本は脅せばお金を出す、と増す増す相手を助長させ、日本人の誘拐が増えるかもしれません。また、そのお金を元に新たなテロでより多くの人が亡くなることもあるでしょう。
交渉して身代金を下げてもらう、という答えもあるでしょうね。でも、そもそも交渉が通じる相手なのか?という問題が生じます。また、命の値段を値切るというものが倫理的・道徳的に許されるのか?命に適正価格はあるのか?強硬手段で人質奪還を目指す、これは今の日本ではできませんよね。憲法を改正しないと。アメリカにお願いする、これもあるでしょうけど、よほどのことがない限り動いてくれないでしょう。
今回の殺害予告のきっかけとなった安倍首相がイスラエルで発言した内容を撤回させる、これをすると国際的に信用を失うでしょう。多くの手段を用いて奪還を模索はするが、最悪の結果になっても止む無し、今後、テロに屈することなく戦う、これが一番、ありえるのでしょうか。難しい問題です。このようにみていくとわかると思いますが正答なんてありません。何を選択するにしても良い面、悪い面があります。私が言いたいのは自分が当事者ならどうするか、とはあなたの倫理観、世界観、価値観に沿って考える、立場によって考える、ということで自分の考えをしっかりと持って欲しいということです。そして考えるにあたって必要源の知識や情報は無いと話しになりません。(イスラム国って何?とか)
面接で
「あなたは今、このように話しましたが、こんな事態に陥ることも考えられませんか?」
と問われて
「・・・・・」
となったり
「確かにそうですね・・・・・」
という信念では頼り無さ過ぎます。
当事者として考える習慣を身につけ、自分の考えをしっかりと持ってください。