【牛田村から広島市へ】 | 碓井法明オフィシャルブログ「本物をやろう!!」Powered by Ameba

【牛田村から広島市へ】

市町村合併といえば、政府による合併特例法により、この二年間で全国的に行われてきた。特に広島県は全国の中でも合併モデルとして先進的に取り組みが進められたことにより、二〇〇五(平成十七)年四月には八十六の市町村が二十九の市町となっている。

 合併といえば、牛田は一九二九(昭和四)年に牛田村が広島市と合併して、現在の町となった。牛田村当時、人口は二千九百二十二人、世帯数は六百九十四戸。農家や軍人、職工等、比較的給料世帯が多かったようだ。

 ハード面から見ると、合併当時の道幅は狭く、メイン道路も幅約三メートル。農道を改良したものがほとんどであった。広島市との合併条件にも、道路の幅員の拡張が入っている。また、下水道も完備されていなかったため、三十センチぐらいの側溝を住民たちが家の周囲に各自掘っていた。当然、下水道の完備も合併条件に挙げられていたが、なかなか実行されなかった。

 町村合併のトラブルには、道路や下水道整備の問題が多いと聞く。今回の平成大合併で、そうしたトラブルがないことを祈りたい。

 さて、牛田村が一九二九年の合併に加わらないで単独の村であったとしたら、いまだに長いヒゲを生やした村長さんが、村会議員や村民たちと木造の役場の中で村の将来の発展を議論している…かもしれない。その方が村民の福祉の発展になっていたのでは…そう考えると複雑である。



 下水道と道路について、さらに「たいまつ」で取り上げていたので、紹介してみる。