課題をクリアするため、英知の結集を | 碓井法明オフィシャルブログ「本物をやろう!!」Powered by Ameba

課題をクリアするため、英知の結集を

先述のように、道州制実施のためには、国と道州制組織の役割分担はどうなるのか、地方への権限委譲がどうなるのかといった課題が山積している。

 道州制は都道府県と国の出先機関の二重行政を解消するのが目的だが、補助金や許認可権をどうするのか。また税財源の問題で、三位一体改革はどうなるのか。税収基盤となる地域間の経済格差を補うための、財政調整制度はどうなるのか。政令指定都市の州都関係はどうなるのか。道州の知事や議会、道州税といった法整備はどうなるのか、挙げればきりがない。

 しかし、市町村合併は進み、着実に道州制を必要とする環境が整いつつある。であれば、この時点で広島市は州都をめざし、始めなければならないことがいくつかある。それには、各界の英知を結集する必要があろう。

 以下、今すぐに始めるべきだと考えることを列記してみる。

㈰手始めに、広島県、広島市の州都広島構築のための県・市・議会・経済界等の合同推進組織を設置する。

㈪ 中四国サミットの提唱している中四国九県の課長レベルでの研究協議会を

設立し、次に中四国州の全体像を描くグランドデザインを策定する。

㈫地方シンクタンク、県、市連合による分権、州法整備検討委員会の設置による法制度の検討を進める。

㈬ 事業実施にあたっては県市とも財政難であり、集中的に順位を決めて実施する。



州都広島の中での東区と牛田三学区(牛田・牛田新町・早稲田)のまちづくり

 二〇〇四(平成十六)年の一月にひろしま二十一世紀の特集第三号として、いま何故「州都広島」かをうすい法明フォーラムから出版したが、この度はその続編としてフォーラムの皆さんと出版と思ったが、時間の制約や原稿のとり纏めで多少時間がかかりそうなので、この度「たいまつ二十四年の歩み」の中で、第三号の特集を入れたので、その続編として「州都広島・東区・牛田」というテーマで気付きの点を書こうと思う。

 先号にも書いたように、広島市の閉塞感は未だ続いており、広島市議会においても何度か州都広島について、新政クラブの宮本先生や私も質問したが、市長や理事者側も「州都広島」については、ほとんどノーコメントのようなことで、理事者側による州都広島の建設への研究会の立ち上げもままならぬ状況だ。広島県の方がその点熱意を持っているように思える。

 さて、その議論はさておいて、その後の道州制の動きを追ってみると

1.第二十八次地方制度調査会において道州制についての議論はされており、一番最近の第二十六回の専門小委員会では、地方議会のあり方について検討されている。又、国と道州の役割分担のメルクマールや、権限委譲など検討されている。2.広島においてはこの度の平成の大合併により、八十六の市町村が二十三の市町になり、全国の中で広島県はモデル県として比較的広域合併が進んでいる県である。3.近隣の動きとして、岡山県は石井知事を中心に州都は岡山であるべきで、エリアは中四国州と主張されており、昨年の参議院選で民主党は「おかやまマニュフェスト」を発表し、「中四国州を実現し、州都は岡山市」など五つの重点約束を柱にして県内の諸課題に対する具体的な政策目標を盛り込んでいる。「州都は岡山市に」との表現に党常任幹事会で広島県連役員から「それは認められない」と異論がでる一幕もあったと聞く。広島市の近隣の市町は廿日市市・東広島市・呉市・海田町・府中町・熊野町・矢野町などどちらかというと広島市への態度は不信感が強く、広島市の周辺地域への配慮がサービスの点においても欠ける点があり、州都広島には疑問をもつ発言もあった。4.広島市の状況は先述したように県は県知事を中心に政策企画局長が大変前向きに取り組んでおられるが、広島市はようやく市長が州都は広島だと述べたことがマスコミにとりあげられていた。市民の動きといえば、先般、中国・四国九県のアンケート調査をしたが、六十四%が無関心であり、まず、広島市民に道州制の意義と州都広島の役割をしっかり認知してもらう必要がある。

 さて、本題に入ることにしよう。

今、広島もそうだが、大きな社会的課題として

㈰人口減少社会に突入した

㈪超少子高齢化の時代(団塊の世代への社会保障)

㈫国際化・情報化の時代(国際空港や広島港湾の充実)

㈬徹底した行財政改革が必要(この度の選挙で大勝した、小泉首相の三位一

 体での地方分権の早期実現)

㈭明治時代の教育を中心とした知識集約型社会への教育ルネッサンス

まだまだ色々な課題があるが、そういった時代認識の下に州都広島を考える時、どなたかも言っておられたが、州都になるべきこれからの特別なまちの姿がある訳ではなく、住んでいる市民からも、他から来られた人からも他都市に比べて「広島は楽しく、安心して住めるいいところだ」と実感できるまちであることが第一だと思う。今広島は景気の面においても、都市づくりの面においても遅れている。具体的には世界の知の拠点づくりとしての広大跡地利用問題、国道二号高架(観音高架橋)や都市高速道路の延伸問題、州都には必要な広島西飛行場と高架橋の問題、ヤード跡地の問題など、広島市の中枢性に欠かせない。カープ・サンフレッチェの存在にしても、それぞれの球場をどうするかが大きく問題になっている。今やライブドアの”ほりえもん“よろしくカープの存在すら問題になっている。二〜三年前のヤード跡地での米国資本のサイモンの時にも市長決断が問題になったが、この市民球場も市民の熱心な樽募金にもかかわらず、何にもされないことを危惧するものだ。さて、広島市の州都問題は先に記述した広島市の中枢性を高めるべき都市整備構想を書いたが、将に現在色々と提案されたことを、財源の問題もあるので、優先順位をつけてPFIの導入、民活を含めて早期に解決することが州都広島の実現に一番早道と思う。

 次に広島市が二○一五(平成二十七)年には州都広島の建設をといわれているが、その州都建設を目指すと同時に一九九四(平成六)年の第十二回アジア競技大会の施設を生かして、二〇一六(平成二十八)年オリンピックの広島開催を提案したいと思う。二〇〇八(平成二十)年北京、二〇一二(平成二十四)年ロンドン、二〇一六(平成二十八)年は広島で開催したい。私は既に何度かオリンピックの開催を提案した。この度は、東京・福岡が手を上げている。広島の世界的知名度、平和のメッカからアジア大会の経験を生かしてオリンピックの開催を提案するものである。5.さて、州都広島と東区の関係だが、東区には州都広島建設にふさわしい陸の玄関がある。新幹線口と空の玄関に通じる高速五号線(東部線)と山陽自動車道がある。又、都心機能をもつ広島駅北口と球場建設で話題となっている隣接のヤード跡地などは二十一世紀の広島市の拠点機能を担う貴重な存在だ。又、二葉山など都心近接の緑と自然、歴史の散歩道など文化財も豊富だ。州都と東区の関係で州都広島の州庁舎については、西風新都にという話もあるが、今広島の陸の玄関である新幹線口はJRの建物や宿舎が移転され、高速五号線建設地も含めて広大な遊休地がある。民間マンション建設の話もあるが、新幹線に近いことや、北玄関口であり、高速五号線(東部線)で空の玄関である広島空港への利便性など、交通立地や災害からの回避性、デルタ河川の他、二葉山に近く、環境共生のイメージもあり州庁舎と議事堂建設には適した立地だと思う。6.次に州都広島と牛田三学区(牛田・牛田新町・早稲田)の関係だが、もし、州都広島の州庁舎が広島駅北口(二葉の里の地)に建設されるとすれば牛田三学区は州庁舎に一番近いまちとなる。広島市は(国際平和文化都市広島)と名付けているが、別名「水と緑と文化(歴史)のまち広島」ともいう。将に牛田三学区は前は太田川の清流と後ろに牛田山(見立山)・二葉山の緑を控え、牛田新町には広島で唯一の国宝不動院がありで、「水と緑と文化(歴史)のまち牛田」といっても何もはばかることはない。又、特に今の日本、明治の教育ルネッサンスの復興は先述したが、牛田は大学を二つ、高校一つ、中学二つ、小学校三つ、幼稚園三つ、保育園一つ、総合施設一つというめぐまれた教育環境にある。小・中学校の学力も広島県や市の平均値よりも高く、中学校においては学区外からの入学要望が多くある。将に知識集約型の優れた教育環境にある。又、超少子高齢化社会を迎えるが、牛田三学区には老人介護施設、デイサービス、グループホーム、訪問介護ステーションなど福祉関係施設が今後建設中を含めて少なくとも十二ヶ所はある。まさに医療施設とともに福祉の拠点のまちとなっている。又、水泳とスケートの二面性を持っているビッグ・ウェーブ、東区スポーツセンター、公民館二つ、新牛田公園、牛田総合公園(バラ公園等)(スポーツ広場・ゲート・テニス・エスキーテニス等)、太田川不動院前のスポーツ広場など、スポーツの面においても恵まれている。又、住宅地としては都心近接で、居住性の高い高級住宅地(少々物価が高いのがたまに傷)として知られている。そこで、これから州都広島を迎え、さらなる魅力を加える為に牛田の(水と緑と文化〈歴史〉の散歩道)を建設することだ。このことについては、これまでも牛田ニュースでよく書いてきたことだが、イ.牛田の山や川など自然や、不動院、浅野家の墓地、日通寺の「あまのじゃく」などの歴史的資源や水道資料館、早稲田神社の弥生時代の遺跡など文化財散策コースの設置、水辺の散策としては太田川と京橋川沿いの川辺の散歩道、神田橋まつりとしじみ採りコースの新設、新町一丁目の河川敷を利用したバードウォッチングが出来る川の駅の整備、牛田山の山頂は、四百年前、毛利元就の孫にあたる毛利輝元が広島城を建設するとき見立てたといわれる、いわゆる、見立山には毛利輝元の広島城見立ての像も検討されている。

 又、神田山荘のある神田山からは三十九度の温泉が出、水泳施設やクアハウスがあり、原爆被爆者の保養施設になっているが、ここも是非加わってもらえば良い。又、牛田バラ公園にはカナダのモントリオールのミニチュア公園もある。又、牛田総合公園はも未だ未完成であり、牛田サッカー球場、牛田山・二葉山をめぐるハイキングコースも完成したらと思う。又、牛田第四小学校跡地にはスポーツ広場や集会所、又、広島の迎賓館、福祉施設など多目的な広場に利用したらと思う。ロ.州都広島を訪れる観光客などを誘致するうえで、駐車場付の若者や女性、高齢者向きの専門店や食堂街、医療・福祉サービスを含めた総合複合ビルの建設などハ.牛田三学区の各神社の祭りや、盆踊り、ほおずき祭り、公民館のふるさと祭り、神田橋川祭りなどのもてなし文化づくりニ.牛田商店街やNPOによる地域通貨の導入による牛田三学区の福祉の心を育てるコミュニティーの充実を図るとともに、牛田商店街の活性化を図る。

 又、牛田大橋から牛田旭バスの終点に到る通り(東四区白島牛田線・中山線)を今は年に一度のほおずき祭りで約十万人の観客を集める広島でも有数の祭りに発展しているが、この通りをシンボル通りにし、例えば「牛田ほおずき通り」として、植木など整備し、夜店などを出しやすくしたり、歩道の拡張によるコミュニティー道路化や、電線地中化などを検討する。そして、月に一度の朝市や夜市を開催し、商店街や体協や成年会・子ども会などのコミュニティー団体も参加し、牛田三学区の活性化を図る。

ホ.地区幹線道路として牛田早稲田と中山を結ぶ道路の建設や牛田と早稲田を結ぶ生活道路の整備、救急車や消防車など緊急車両の入らない生活道路の拡幅、環境を破壊するような高層マンションの景観地区指定などによる抑制、公図混乱地区の解消、私道を公道にし、水道・下水道の整備、などなど、牛田三学区に住まわれる住民が楽しく、安心して住めるまちづくりが、そして他地区の人が是非住みたいと思うまちづくりが、即ち州都広島の牛田三学区のまちづくりであると確信している。