静かさに対する耐性がなくなっていることに気づく。中学生の頃からか自室は「スマホをいじる場所」になってはいたが、自室にテレビとパソコンがあって、四六時中光と音にあふれているなんて生活を送るようになったのは、暫定22年の人生で本当にここ一年くらいのもんである。
いつの間にか何をするにも動画をバックグラウンドに流す習慣が付いた。夜は電気を消しても目がさえて、動画をみながら「寝落ち」しないと眠れなくなってしまった。そういった刺激がやむと、頭の中のノイズが気になって落ち着かない。でも最近はそのノイズが、外側にばかりアンテナを向けたせいで周波数が合わなくなってしまった、自分の内側からの信号である気がしてならない。
小学生の頃、放課後は祖母の家で遊ばせてもらったものだが、暇を持て余して縁側で横になり、近所の高校から聞こえる運動部のかけ声を聞きながら眠りに落ちるまでの30分間は、こうして眠れなくなった最近の夜の時間と同じように「長」かった気がする。
今思えば、それが自分の内側から伝わってくるぐちゃぐちゃの波との対話の時間であって、あの退屈こそがとても大事なものであった気がしてならない。または、あの夕方の睡眠のような瞑想の末にそのノイズが除去されたとき、そこに頭の中で結晶した、例えば表現されることを待ちわびた物語や音楽、言いかえれば「明日やりたいこと」が溢れてくる気がしてならない。
実際、今こうして思い浮かぶ単語を順に並べていくだけで、頭の内側に囚われて乱反射していた波が、頭蓋骨のスリットから解放されていく気分がするんである。

また一年後にはこの感覚も失っている気がするので、とりあえずメモしておく。以上