ベルナのしっぽ
先輩に進められて読みました。
目の見えない作者と盲導犬の心のつながりに、
ところどころこみ上げるものがありました。
昔かっていたナナが死んだ時、
泣けない自分に疑問を覚えました。
きちんと愛していたかどうか疑問を覚えました、
昔は感情がわきにくい時期があり、
そんな自分がひどくつまらないものに感じ、あせりました。
今思えば、生き物を生き物として感じることができていなかったのかもしれません。
今、
飼っているムックの世話を
母親にまかせっきりにしていました。
呼びかけても反応しないようになりました。
尻尾さえ振らない。
無関心。
そんな時期が続きました。
最近ふと、
一日一回は抱きしめてなでてやるようにしました。
尻尾を振るようになりました。
昔よりもムックが好きになりました。
人は手の届く範囲でしか感じられないものが確かにあります。
パソコンの画面にいくら情報が増えたところで、人が感じられるものは手の届く範囲。
命のつながりを感じました。
いつか子供を持つことになったら、
しっかりと抱きしめてあげようと思います。
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リトル・フォレスト 五十嵐大介
- リトル・フォレスト (1) (ワイドKCアフタヌーン (551))/五十嵐 大介
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クッキングパパばりにためになるマンガだ。
田舎豊かな生活が見える。
作中で都会に出て行ったユウ太は
「自分自身のからだでさ、
実際にやったことと
その中で感じた事
考えた事
自分の責任で話せる事ってそれだけだろう?
そういうことをたくさん持ってる人を尊敬するだろ
信用もする
なにもしたこともないくせに
何でも知ってるつもりで
他人が作ったものを
右から左に移してる
だけの人間ほど
いばってる
薄っぺらな人間の
空っぽな言葉を
聞かされるのに
うんざりした」
って田舎に帰ってくるけど、
一理あると思った。
仕事が大きくなるにつれ、一人では責任が取れない。
ただ、責任の所在の明確化がないと、
組織のバランスが取れない。
結果、
経験、推測、イメージで決断をする事になる。
でも人間のイメージには限界がある。
権力の集中。
今までの国の問題点。
リトルフォレストの中には
尊厳の高い豊かな人間の姿があると思う。
自分の生活を理解している。
食事にしろ
生き物とのかかわりにしろ。
技術がイメージを越えると、
生活に実感が無くなるんじゃないか?
感覚、感性が鈍るんじゃないか?
うすっぺらな人間にならないように、
自分の責任が取れる範囲で、
豊かな人間になりたい。
写真家になる!
写真家になる!ってぇ本を読み始めました。
知識だったり、センスだったり、テクニックだったり。
大事なものはたくさんあると思うけど、
動機ってスゴイ大事なんじゃぁと思う。
何を伝えたいか。
俺が撮りたい写真…
そう思って思いついたのが、
食物連鎖の写真。
しかも自給自足している人の生活に密着した写真をとってみたいと思った。
ネパールで自給自足の一端を体験させてもらったときに、
水牛の舌を丸ごとゆでて食べた。
あまりにもその舌がリアルで、
正直食欲が少し無くなった。
けど岩塩をさらっと付けて食べてみると独特なコクがあってうまい。
その民族の子供たちは物心つくまで抱きしめて、甘やかされて育てられる。
物心がつけば一人前に仕事が与えられて、
身長130にも満たない少女が十数名の大所帯の洗濯物を両手にかかえ
一生懸命洗う姿に、
自分の日本での暮らしの情けなさに恥ずかしくなる。
そんな一つ一つが、
生活をリアルにする。
人間を地球の一部にする。
人間は地球のガンなのか?
でもガンも自分の一部なんですよ。
Back to the nature.
Back to the future