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燃えよ原田組
この穴蔵から
毎日隊士たちが出立していた。
ここが原田新選組の基地!
衣装とかつら、
メイクをほどこし
日々時代を遡っていく…
関ヶ原でも一緒だった松つん↑や岡田准一さんとも嬉しい再会があったり。安井順平さんや明楽哲典パイセンたちと夜な夜な語り明かした日がまさに新選組そのもののようで…
熱い思いで
熱い時を
熱い仲間たちと
過ごした3ヶ月。
幕末の動乱の中、それぞれの思惑を持って新選組隊士たちは生きた。
武士に憧れ、より武士らしくいようとした隊士たちの息遣い。その生きざまとは…
五番組組頭・尾形俊太郎として僕も京の町を駆けました。
歴史的な建造物や跡地の中、黒い装束を纏い闊歩しながら、史実に、司馬遼太郎 × 原田眞人の世界に、思いを馳せる幸せ。
改めて原田眞人監督作品に携われる喜びを実感した今作。監督の真剣で真摯な気概、瞬間に込める熱量は、その場(シーン)に活きることに誇りを感じさせてくれます。
原田眞人監督作品初出演時の記事↑
時代の転換期・幕末を描く極上のエンターテイメントを堪能してください!
尾形俊太郎とは(Wikipediaより)
天保10年肥後国熊本藩生まれ。新選組入隊は文久3年(1863年)、副長助勤を務める。元治元年(1864年)の池田屋事件は留守居役。同年12月長州征討を考えた行軍録で五番組組頭に就任。
局長近藤勇の信頼が厚く、江戸への隊士募集や長州出張に随行。慶応元年には諸士取調役兼監察方及び文学師範に就任。慶応4年(1868年)鳥羽・伏見の戦いでは目付を務め、大阪に敗走後、江戸に帰還。その後も甲州勝沼の戦い、母成峠の戦いへ。斎藤一らと会津若松城下外堀外に宿泊した記録を最後に消息を絶つ。
撮休日。
素敵な京の味も忘れられない。遊びに来てくれた家族と至福な時間にも感謝❣️